死者の人権が今と繋がる時~爆笑問題太田VS週刊新潮裁判に太田本人が出廷の巻:雑感~

 どうも!おはようございますからこんばんわ!まで

 週刊新潮に掲載された爆笑問題太田光さんの日大芸術学部裏口入学報道を巡る裁判で、今回原告である太田さん本人が出廷されたという事でニュースとなっていました。

太田光が出廷、裁判官の方面に指さすしぐさで和ます

 ちょうど私も通院していた歯医者の待合スペースにあるテレビで速報を見ていました。入廷直後にお決まりのポーズをしたり、終始発言の隙間隙間でボケたりする部分は良し悪しを一旦横に置いておいたとして、あの人が普通という社会における肌感覚には馴染めるはずはなく、エンターテイナーという文脈で馴染めている証拠なんだろうなぁと思いました。

 裁判に至った背景はURLを張り付けたネット記事内にも書いてありますが、太田さんサイドの主張としては「芸人としてのイメージをねじ曲げられた」ことと「仕事としての影響というよりは、自分の父の名刺が顔写真付きで載ったことが嫌だった」ということだそうです。太田さんのお父さんは2012年に亡くなり、裁判に至る背景となった週刊新潮の記事は2018年に出たということで、この間に6年のタイムラグがあります。つまり、記事内でお金を日大側に渡したかもしれないお父様はすでに亡くなっていて、真偽の程が分らないという事です。太田さんが指摘する「仕事としての影響というよりは、自分の父の名刺が顔写真付きで載ったことが嫌だった」という部分は、太田さんのお父さんの名誉が傷つけられたという見方なのではないかと思います。

 憲法の判例で有名な北方ジャーナル事件判決(最大判昭和61・6・11 民集40巻4号872頁)で、名誉とは「人の品性.徳行.名声.信用等の人格的価値について社会から受ける客観的評価」だとし、「人格権としての名誉権」の保護が憲法13条の要請であることを認めました。(『憲法1 人権』pp279 )太田さんは著書『今日も猫背で考え中』の中でもお父さんとの思い出を書いていて、お父さんに対しての想いは少なからずあると推察でき、そのお父さんを中傷するような書き方だった週刊新潮の記事に憤りを覚えたのかもしれません。

 今回の出廷で話した内容が今後の裁判の行方にどう影響するかは分かりませんが、当事者の一人(太田さんのお父さん)が亡くなっているという観点から、新潮社側が記事を作成するプロセスで固めた証拠への信ぴょう性が重要な焦点になってくるのではないかと私は思います。

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