源頼政と二条院讃岐
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」第3回で戦死した源頼政は、鴨長明に「いみじき上手」(『無名抄』)と賞賛されるほどの歌人でした。『源三位頼政集』という家集があり、『詞花和歌集』以下の勅撰和歌集に59首も入集しています。
頼政の娘は、二条院讃岐(『百人一首』92番作者)です。彼女は、京都の情勢を頼朝に伝える重要な役割を果たしていた三善康信(鎌倉殿の13人)と後日鎌倉で接点を持っていた可能性があります。
『玉葉和歌集』の詞書によると、領地(小幡・「をばた」)をめぐる裁判で彼女が鎌倉に下向した際、三善康信の力を借りて、裁判を成功させることができたようです。
詞書は「二条院讃岐伊勢国にしる所(領地)侍りけるに、わづらひ(やっかいなもめ事)あるによりて鎌倉右大臣(源実朝)に愁へむ(愁訴しよう)とて東にくだり侍りけるに、本意のごとくになりて(願いどおりになって)帰りのぼり侍りければ申しつかはしける」です。
をばた田の板田の橋のとだえしをふみ直してもわたる君かな
(『玉葉和歌集』雑二・三善康信)
朽ちぬべき板田の橋のはしづくり思ふままにも渡しつるかな
(同・雑二・二条院讃岐)
このいきさつも、ゼミ生が作成した「鎌倉殿・人物ガイドブック」に記述があります。どうぞご一読ください。
https://www.city.kamakura.kanagawa.jp/taiga/documents/ferisgaido.pdf
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?