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日本全国能楽キャラバン!in神奈川

1月5日、鎌倉芸術館で、謡曲「江野島」と狂言「鐘の音」を鑑賞しました。日本全国能楽キャラバン!in神奈川の公演でした。 

「江野島」は鎌倉の深沢に住む龍神と弁才天の物語です。江の島伝承に基づく能で、弁才天、童神、龍神が登場し、華やかで、かつ祝言性に富んだ、鎌倉のお正月にふさわしい演目でした。

狂言「鐘の音」は鎌倉ゆかりの名曲。「金の値(かねのね)」を聞いてくるよう言われた太郎冠者が、鎌倉のいくつかのお寺の「鐘の音(かねのね)」を聞き比べて主人に教えるのですが、鎌倉の有名な寺の鐘の音を野村萬斎さんが再現、会場中が笑いに包まれました。 

「江野島」には、神殿の中から弁才天と眷属の童子たち(子方)が登場し、如意宝珠、「玉」を勅使(天皇の使い)に捧げる場面があります。日本における弁才天は、江ノ島・竹生島・厳島に代表されるように、水と深い関係を持つ女神とされています。 

水・女性・玉の結びつきは、『古事記』『万葉集』に遡り、海の「玉(美しい貝や石など)」を天皇・皇后が浜辺で拾うという和歌や話は、日本の古典文学にしばしば見ることができます。 

或説に曰ふ、神功皇后の巡国したまひし時、御船泊てて、皇后、嶋に下りたまひ磯際に休息したまひて、一の白き石を得たまひき。団なること鶏卵の如し。皇后、御掌に安きたまふに光明四に出づ。皇后大く喜びたまひ、左右に詔して曰りたまはく「こは海神の賜へる白の真珠そ」とのりたまひき。故、嶋の名とせり、と云々。(『釈日本紀』巻一〇)

  (神功皇后が巡国なさった時、御船を停泊され、皇后が嶋に下りなさり、磯際で休息なさって、一つの白い石を拾いなさった。丸いことは、鶏卵のようであった。皇后は、御掌に戴せなさったところ、光明が四方に出た。皇后は、たいへん喜びなさり、随行者に「これは、海神が下さった白い真珠である」とおっしゃった。)(『釈日本紀』巻一〇)

これは、中世の『日本書紀』の注釈書ですが、皇后が「これは海神が与えてくださった白の真珠です」と言って手に戴せると、光明が四方に発し、霊力を有していることを示唆しています。海辺で拾う玉は、海神からの贈り物で、王権に寄与する力を持つとされてきたのです。 

海神の娘「豊玉姫」「玉依姫」も「玉」の名を持ちます。海神の娘豊玉姫は、火遠理命ホオリノミコトと出会い、結ばれ、鵜葺草葺不合神ウガヤフキアヘズノミコトを出産しますが、夫に出産場面を覗き見されたことを恥じ、海中へと去ってしまいます。そこで海から妹の玉依姫が派遣され、鵜葺草葺不合神ウガヤフキアヘズノミコトを養育したうえで、結婚し、四人の男の子を産みます。その中の一人が神日本磐余彦カムヤマトイワレビコ、即ち後の神武天皇となるわけです。この神話に基づけば、豊玉姫、玉依姫、ひいては海神は、天皇の母系のルーツということになります。海から陸にもたらされた「玉」が海陸をつなぐ王を生むのです。 

話は変わりますが、元久2年(1205)3月26日、「新古今集竟宴」が開催されました。新古今集竟宴とは、出版記念祝賀会のようなもので、『新古今集』の完成を祝って催されました。このときの藤原良経(摂関家の歌人)の和歌をご紹介しましょう。 

敷島(しきしま)や大和(やまと)ことばの海にして拾ひし玉はみがかれにけり (『新古今集竟宴和歌』二・藤原良経)

(海のように膨大な数の和歌の中から、帝がお拾いになった玉のような和歌は、勅撰集に入ってさらに磨きを増したことでした) 

「敷島や」は「大和」にかかる枕詞。「大和ことばの海」は、これまでに詠まれてきた膨大な数の和歌を、大海に擬えたもの。良経は、大海で拾われた玉が磨かれていくと、『新古今集』撰集を表現したのです。この歌の「拾ひし」の主語は誰か。玉を拾い、磨き上げるのは、『新古今集』を親撰した後鳥羽院でしょう。良経は、院の親撰を、海から玉を拾うという比喩で表現し、寿いだのです。 

良経は、『新古今集』仮名序でも、海の玉を拾うという表現を用いています。 

  伊勢の海きよき渚の玉は、拾ふとも尽くることなく

  (伊勢の海の清い渚の玉は、拾っても尽きることがなく) 

良経が言う、海で拾う「玉」は秀歌の比喩ですが、古代に遡源してみれば、海からの賜物、秘宝です。良経は、大海で拾われた玉が人の手によって磨かれていくと、『新古今集』撰集を表現しました。この玉は、古代的な王権の生成をもたらす玉であり、それを拾う行為はまさにその実現を意味しています。良経は、古代的な王権生成の物語を、後鳥羽院親撰の『新古今集』に重ねようとしていたのではないでしょうか。

 詳しくは、谷知子「『新古今集竟宴和歌』と藤原良経―海の玉と王権―」(笠間書院『和歌文学論集 古今集と新古今集の方法』)、谷知子『天皇たちの和歌』(角川選書)をご一読ください。

関連論文として、阿部泰郎「『大織冠』の成立」(『幸若舞曲の研究』第四巻、昭和六一・二)、谷原博信「志度寺縁起―海女の玉取り説話の成立について」(『古典と民俗学論集―櫻井満先生追悼―』平成九、おうふう)、近本謙介「南都をめぐる能と日本紀―補陀落の南の岸に展開する文芸世界―」(『国文学 解釈と鑑賞』六四巻三号、平成一一・三)、大橋直義「珠取説話の伝承圏―志度寺縁起と南都・律僧勧進」(『芸文研究』八〇、平成一三・六)もどうぞ。

 鎌倉には能舞台があり(長谷)、「能を知る会」も開催されています。

5月11日(木)には、狂言「咲華」能「土車」(10時始め)、狂言「墨塗」、能「水無月祓」が上演予定、11月特別公演の解説は、小林健二さんがおつとめになるようです! 


 

 

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