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世の中は常にもがもな

前回の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の紀行でも紹介されていましたが、鎌倉・由比ガ浜には源実朝の歌碑があります。彼の見果てぬ夢を載せた船の形を模した石碑に、『百人一首』の実朝の和歌が刻まれているのです。

 

世の中は常にもがもな渚漕ぐ海人の小舟の綱手かなしも
 (『百人一首』93・鎌倉右大臣)


本歌は、『古今和歌集』の陸奥歌です。

陸奥(みちのく)はいづくはあれど塩竃の浦漕ぐ舟の綱手かなしも                    (『古今和歌集』陸奥歌・一〇八八)

 

 実朝は本歌の下句を取り込み、風景に「海人」を加えた上で、「世の中は常にもがもな」という願望を付加しています。本歌にはなかった人間(労働者)と永遠への希求という点を加えているわけです。

 

『百人一首』の原型が成立したとされる文暦2年(1235)を約6年遡る、寛喜元年(1229)に制作された『竴子入内屏風和歌』(後堀河天皇に入内した竴子のために父道家が制作したもの)の中に「海辺網引」という画面があります。現存する五首を引用しましょう。

 

うちはへてながけき御代を頼め置くちひろの海の網のうけなは(公経)

絶えずひく網のうけ縄くりはへて永き日くらす春の浦人(実氏)

をく網の霞をむすぶはる風に浪のかざしの花ぞさきそふ(定家)

浦人もおのがさまざまあさるなり波をさまれる春にあふころ(為家)

浪風ものどかなる世の春にあひて網の浦人たたぬ日ぞなき(採用されて画面に貼られたのはこの歌)(家隆)

 

ここに描かれた漁師たちの風景は、穏やかで、永遠に続く治世のもと、豊かな漁を行う幸福で満ち足りた民の象徴です。典型的な祝賀の歌で、『大嘗会屏風和歌』にもこれに類似した風景(例えば、「つくま江に網引く舟にのれる人人見る」三条天皇・悠紀・近江国・屏風歌・仲春)が見られます。

 

この中に、『百人一首』の実朝の歌を置いてみるとどうでしょうか。全く違和感がないのではないでしょうか。実朝の歌については、無常観の表白ととる説、世の常住を願うととる説があります。常住を願う祝賀の意は、無常を前提としているわけですから、永遠の願いは無常観とは表裏一体です。ほぼ同時代に成立した『竴子入内屏風和歌』と並べてみたとき、この歌の意味、本質が見えてくるのではないでしょうか。
それは、人徳のある為政者が労働者の営みを見つめ、「世の中は常にもがもな」と世の永遠を願うという実朝像です。

詳しくは、谷知子「『百人一首』はなぜ流行したのかー秀歌とは何か」(松田浩・上原作和・佐谷眞木人編著『古典文学の常識を疑うⅱ―縦・横・斜めから書きかえる文学史』勉誠出版)をご一読ください。自分も書いていて何ですが、シリーズ1も含めてとても評判のよい本です。

 

 

 

 

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