見出し画像

残りの菊

菊の花のお話の続きです。
『六百番歌合』(兼実の子息良経が主催)に「残菊」の歌題があります。「残菊」は重陽の節句を過ぎて、10月頃まで咲き残った菊の花のことです。
『六百番歌合』の50題の中には、「残~」という歌題が3題あります。「残春」「残暑」「残菊」。「残暑」は立秋後の暑さ、「残菊」は九月九日を過ぎた菊という題意なので、いまだ春のうちにある「残春」と全く同じではありませんが、季節や時間が推移する微妙な時期に焦点をあてた題という点では同じでしょう。
 
「残菊」は、しばしば「紫」と表現されます。例えば、9番です。
  左 顕昭
霜降れば若紫の色映えて菊は老いせぬ花にぞ有りける
  右勝 経家
染めかふる籬の菊の紫は冬にうつろふ色にぞ有りける
 
判は、藤原俊成。「うつろふ色にぞ有りける」という下の句に対して、「五行の理にかなひてよろしくこそきこえ侍れ」と賞賛しています。さらに「紫色は以赤入黒之色なり、よりて冬のほどのあひだの色なり」と説明します。紫色は、赤色を黒色に入れた色で、冬に移行する時期の色であるというのです。陰陽五行説によると、夏は赤、秋は白、冬は黒。
 
「この心自然によまれたるにや、五行の輪転を知れるに似たり、心姿よろしき」。歌の優劣の基準として、「五行の輪転」に対する知識を挙げていることは興味深いですね。判詞は、場や歌人に左右されやすく、流動的な性格もあるのですが、こうした俊成の姿勢は、ほかの番にも見られますが、ここでは詳述は避けます。
 
明治天皇も数多くの菊の和歌を詠んでいます。その中の「残菊」の歌を引用します。やはり「むらさき」です。
  残菊
むらさきになりてふたたびにほひけり霜を重ねし白菊の花
 
明治天皇には次のような菊の歌もあります。
 
九重の庭の白露たをらせて宴にもれし人におくらむ
ともしびをまがきにかけてまれびとに夜もみせけり菊のさかりを
 
以前アップした重陽の節句の菊、陶淵明の盈把の故事も思わせる歌です。「ともしびを」の歌、とてもいいですよね。今で言えばライトアップです。「まれびと」は「客人」。菊の花でもてなす、こういう心を持っていたいと思います。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?