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これはなんですか?

とうとう源頼朝が大河ドラマから姿を消してしまいました。夢幻世界のような頼朝の最期の場面で政子が寄り添う姿はほんとうにすばらしかった。大泉洋さん、半年間ありがとうございました。
 
夢幻の中のような場面で、頼朝が政子に「これはなんですか?」と食べ物の名前を聞く場面がありました。この台詞は、ドラマのごく初期、頼朝が食事を運んだ政子に食べ物の名前を聞いた、出会いに近い場面の台詞を再現していたようです。
 
貴人が物などの名前を尋ねるという行為は、古典文学によく出てきます。
とても有名なのは、『伊勢物語』芥河の章段、在原業平が高子を盗み出して、駆け落ちする場面です。
 
昔男ありけり。女のえ得まじかりける、年を経てよばひわたりけるを、からうじて盗み出でていと暗きに来けり。芥河といふ河を率て行きけれは、草の上に置きたりける露を、「かれは何ぞ」となん男に問ひける。
 
「草の上に置きたりける露を、かれは何ぞとなん男に問ひける」という問いは、女が消えてしまった後の男の和歌へと回収されていきます。


白玉か何ぞと人の問ひし時露とこたへて消えなましものを
(あれは白玉ですか?何ですか?とあの方が尋ねたとき、露ですと答えて、露とともに消えてしまえばよかった)

この和歌は、『新古今集』の哀傷部に入集しています。「題しらず」とそっけない説明をして、現『伊勢物語』のオチ、ネタバレ(女が消えたのは鬼に食べられて死んでしまったのではなく、兄弟に連れ戻されたのだ)を完全に無視して、人の死を傷み哀しむ「哀傷」部に入れているんです。
 
頼朝の子実朝の次の有名な歌も、お供の者に名前を尋ねたことが詞書に記されています。

「箱根の山をうち出てみれば波の寄る小島あり。供の者に海の名は知るやと尋ねしかば、伊豆の海となん申すと答へ侍りしを聞きて」

箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に浪の寄る見ゆ
                        (『金槐集』五九三)
実朝が伊豆の海の名を知らないはずがないという点で、先の高子の白玉と共通しています。

 
貴人が名前を尋ねる行為は、古典文学を調べてみると色々と出てきます。

うちわたす をち方人に 物申す我 そのそこに 白く咲けるは 何の花ぞも(『古今和歌集』雑体・一〇〇七)
(はるか遠くにいらっしゃる方にお尋ねしたいです。私は。そのそこに白く咲いている花は何の花でしょうか)
 
この歌を引歌(ひきうた)とした場面が、『源氏物語』夕顔巻です。

切懸だつ物に、いと青やかなる葛の心地よげに這ひかかれるに、白き花ぞ、おのれひとり笑みの眉開けたる。 
  遠方人にもの申す 
と独りごち給ふを、御隋身ついゐて、 かの白く咲けるをなむ、夕顔と申しはべる。花の名は人めきて、かうあやしき垣根になむ咲きはべりけると申す。                 (『源氏物語』夕顔巻)
(切懸の板塀みたいなものに、とても青々とした蔓草が気持ちよさげに這いまつわっているところに、白い花が自分一人でほほ笑むようにして咲いている。
    遠方の人にお尋ねする
と独り言をおっしゃると、御随身がひざまずいて、「あの白く咲いている花は夕顔と申すものです。花の名は人間の名前のようなのですが、このような賤しい垣根にも見事に咲くのでございます」と申し上げる。)
光源氏が夕顔という女性と出会う、発端の場面です。

 
『万葉集』の巻頭歌は、女性の名前そのものを尋ねています。

籠もよ み籠持ち ふくしもよ みぶくし持ち この岡に 菜摘ます児 家告らせ 名告らさね そらみつ 大和の国は おしなべて 我こそ居
れ しきなべて 我こそ居れ 我こそば 告らめ 家をも名をも
                  (『万葉集』巻一・一・雄略天皇)
(籠よ、立派な籠を持ち、土を掘るヘラよ、立派なヘラを持ち、この岡に菜摘みをしていらっしゃる娘さん、あなたの家柄を教えなさい、名前を教えなさい。大和の国は、全て私が支配しているのだ、完全に私が支配しているのだ。私こそ明かそう、家柄も名前も)

雄略天皇が、岡で菜摘みをしている乙女子に名前を尋ねる場面です。
 
 雄略天皇は、美和川(三輪山の麓を流れる川)に出かけたときも、川のほとりで洗濯をしている乙女を見かけて、声をかけます。このときも娘の家を訪ねています。
  汝(な)は誰(た)が子(こ)ぞ
                          (『古事記』)
  (あなたは誰の子か)
古典文学における名前については、谷知子『古典のすすめ』「名前ということ」(角川選書)に考えを述べました。ぜひご一読ください。#古典のすすめ #角川選書 #名前
 
頼朝のような貴人が、見知らぬ土地の物の名前を問う行為には、ただその名前を聞くだけではない意味がありそうです。最愛の女性との出会いのことば「これはなんですか」は、最期の場面で回収されました。亡骸に寄り添う政子の姿はほんとうに美しかった。
 
 






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