なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#51

若返り鍼灸師の山田和宏です。
ご観覧いただきありがとうございます!

スタッフを雇うも、1人を残して退職。

しかしネットワークビジネスでは、どんどん結果が出ていきました。

そんなさなか、私にとって大切な人が人生の長い長い旅を終えようとしています。

#50の続きです。

とある日、GWに妻と子供達を連れて温泉に出掛けていると、母から一本の電話が。

母方の祖母が危篤状態なので、すぐに帰って来て欲しいとの事でした。

実は一年前、祖母は栄養を自分で取る事が出来なくなり、延命処置をしないと1週間以内に亡くなるという状況でした。

その時は、母との相談のうえ、延命処置をしてもらうという選択をします。

何の恩返しも出来ていなく、安心してからこの世を去ってもらいたかったからです。

祖母に安心して欲しい。そのために私は必死で頑張っていました。

月に1〜2回は必ず時間を作り、どれだけ忙しくても子供達を連れて会いに行っていました。

母からの電話後、急いで帰っても何も出来ないので、ご飯を食べて温泉に入ってから、泊まらずにそのまま帰って祖母が入院している病院に直行します。

病院に着いた時には祖母は意識が無く、心電図を見てみると普通ではない波形を示しており、死期がまもなくだという事を悟ります。

今日にも亡くなってしまうかもしれないと考え、憔悴している母を見兼ねて、私がそのまま残る事を伝え母を帰らせました。

呼吸器に繋がれていても、息をするのが苦しそうな祖母。

今にも心臓が止まってしまいそうな心電図の波形を見ては、他の部屋の方の心電図のアラームが鳴っているのを耳にします。

長く長く感じた夜でしたが、その日は何とか持ち堪えてくれました。

少しでも苦しまずに楽に逝って欲しいと思い、当時師事していた鍼灸師の先生に状況を説明し相談をしてみました。

鍼を刺さずに、てい鍼という道具を使い、気の流れが整うイメージで経絡をなぞってみて。

そう指示を貰い、祖母への感謝を胸に言われた通りに治療をしていくと、少し呼吸が整い心電図の波形が良くなっていくのが見受けられました。

長かったたの夜から1週間が経つと、同じ部屋に入院していた人達は次々と居なくなっていき、ついに祖母1人に。

そしていつもの様に鍼を使って治療をしていると、

おお和くん来てたのか

??

??!

?!!!

周りを見ても誰も居ません。

え?

祖母の方を見ると、そこには目を開けた祖母が居ました。

ばぁちゃん

もう1週間も意識が無かったんだよ

ずっと声を掛けてたんだけど

聞こえてた?

〝ん?寝てたから知らない

ほうか1週間も寝とったんか〟

何事も無かった様に、いつも以上に元気な声で、ハッキリと受け答えをします。

もう話せないと思ってた

ばぁちゃん

よく戻ってきてくれたね

ありがとう

愛してるよ

〝ありがとうねぇ〜〟

そう言いながら笑っていた顔が、今でも忘れられません。

看護師さんを呼ぶと、ビックリしてお医者さんと病室に飛んできました。

あの状況からの生還は奇跡だなぁ〜

と言われていました。


すぐに母に連絡し、

母さん、ばあちゃんが帰ってきたよ。

呼び戻しちゃったと伝えると。

うそぉ!!!

と電話の先で叫んでいました。

和くんから電話が掛かってきて、覚悟したのに、まさか意識が回復した何て言われるなんて思ってもみなかったと。

30分後に母が来て、泣いて喜び、祖母を抱きしめている姿を見て、何とも言えない充実感を感じました。

それから2ヶ月間、祖母は元気に会話し、母は今まで言えていなかった感謝の気持ちや、思い出話を出来たそうです。

もう何も思い残しは無いぐらい話す事が出来たよ、ありがとうね。と母が言ってくれ、

最大の親孝行が出来たと思います。

祖母が背中を押してくれた治療家という道で、祖母と母を救う事が出来た事が、本当に誇りに思いました。

〝奇跡は起きるのではなく起こすもの〟

偶然ではなく、必然で起きているのだという事を確信した出来事でした。

そして祖母を送り出す日がやってきました。

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