なりたい、やりたいを実現し妊娠へと導く【妊活プランナー】が誕生するまで#28

若返り鍼灸師の山田和宏です。
ご観覧いただきありがとうございます!

灰色だった高校生活も終わりを迎え、来年の受験に向けて勉強&ニート生活をスタートいたしました。

#27の続きです。

両親に頼み、予備校に通わせてもらいました。

人生ではじめて、真面目に勉強しようと通います。

とはいえ、親のスネをかじっているのもプライドが許しません。

回転寿司屋、それが終わったらその店の掃除のバイト。しかしその生活だと、バイト仲間と遊びに行ってしまうので、

いつも眠たくて、全く勉強が進んでいきません。

あげくの果てに、予備校の帰りにバイクに乗っている時に当て逃げをされ、エンジンが完全に逝ってしまい、

ちょうど車を買いたかったし、修理費が20万以上掛かるという事だったので、そのまま手放す事にしました。

しかしそのまま、当時憧れていたワインレッドのスカイラインを購入し、今度はバイク小僧から車小僧に。

理学療法士を目指すために、医療の現場で働こうと考え、ちょうどオープニングスタッフを募集していた整形外科があったので応募をしました。

面接では、理学療法士を目指しているので働かせていただきたいと伝えたところ、将来を見据えてという事で採用になり、リハビリ室で助手の仕事を始める事になります。

このリハビリ室で、今の私を作る切っ掛けとなった、3人の先生と一緒に働かせてもらう事に。

柔整師、鍼灸師、カイロプラクティックのそれぞれ一つずつ資格を持った先生達でした。

最初は医療という尊い仕事につけたとワクワクし楽しんでいたのですが、整形外科といっても助手にやれる事は、患者さんをリハビリ室に呼び、電気を付けるだけ。

あとは掃除です。

とある日、回転寿司屋の夜の掃除のバイトの帰りに、車で信号待ちをしていたら、

後ろから思いっきり車がぶつかってきました。

おそらくノーブレーキだったのでしょう。

酷い鞭打ち症になり、毎日の様に頭痛と吐き気で悩まされる事になりました。

整形外科で働いている訳ですから、治療はそのまま職場で受ける事に。

仕事の目処がつくと診察室に呼ばれ、毎日痛み止めの注射を打たれました。

これがまた強い薬だった様で、具合が逆に悪くなります。大量の湿布と飲み薬も出されて、電気治療でお終いです。

3ヶ月が経過しても全然回復していかず、日々痛みに耐えていました。

見兼ねたリハビリ室の先生方が、マッサージや鍼をしてくれましたが、変わっていきません。

カイロプラクティックの先生が、首と背中に歪みが出てしまっているからと、矯正をしてくださり、久しぶりに痛みから解放され、しっかりと眠る事ができました。

この経験からカイロプラクティックに興味を持つ様になり、その先生は色々と治療のやり方を私に教えてくれました。

追突事故に遭ってから半年、まだ痛みが取れなく、掃除の仕事がしんどくて仕方ありません。

少し休憩しては掃除の仕事をするという繰り返しの日々です。

保険屋さんから、事故の治療の打ち切りを言い渡され、最後の診察を雇い主である整形外科の院長先生にしていただきました。

院長:山田君さ、真面目にやる気あるの?

理学療法士目指しているって言ってたけど、受験の方は大丈夫そうなの??

山田:仕事は自分なりに一生懸命やっています。

受験の方は、理学療法士ではなくてカイロプラクティックを学んでみようと考えています。

院長:は?じゃあさ、もう必要ないからもう来なくていいよ。リハビリ室の助手さん達から、仕事が遅いし雑だからってクレームが出てるしね。

仕事をクビになりました。

痛みに日々耐えて

それでも頑張って仕事をして

言われるがまま治療を受けて

全く治っていかず。

後で交通事故の示談の際に、治療に掛かった費用を見た時に驚きを隠せませんでした。

うん百万です。

治りもしない治療をし、病院は儲け、保険料が入らなくなる途端に解雇をする。

痛みに苦しむ患者さんの事を理解できない人達が、リハビリ室で助手をしている。

反吐が出る思いでした。

私がこの職場で仕事をしている期間に、症状が完治して通院が終わった人を1人も見ていません。

ここが腐っていただけと思いますが、病院という現場に幻滅をし、

自分で独立する事もでき、医療に携われる、治療家という道を進む事に決めたのでした。

腕一本で稼げれる様になってやる!

そう決意し、私はカイロプラクティックの学校に通う事を決意しました。

次回に続きます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?