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【中編戯曲】穴男/ 穴女

穴男/穴女

作 松永 恭昭謀

登場人物

 牧師
 穴女
 掘る男
 見る女
 聞く女
 声

 円形舞台。中心に穴があり、出入りできる。
  
  


牧師が座っている。

牧師 穴女、穴女よ。聞いているか。

穴の中央から、奇妙な着ぐるみを着た女(穴女)が現れる。

牧師 穴女よ。ワタシの話を少し聞いてもらえないだろうか。
穴女 ワタクシが牧師様のお話を聞くのでしょうか。
牧師 頼めるだろうか。
穴女 ワタクシでよろしければ。
牧師 ワタシはここに座ってこの底なしの穴とそれを見に来る人々を見つめてきた。
穴女 幾年たちましたでしょう。
牧師 40年、晴れの日も雨の日も凪(なぎ)の日も時化(しけ)の日も穴と人々を見つめてきた。
穴女 そんなに経つのでしょうか。
牧師 だがこの頃思うのだ。
穴女 なんでございましょう。
牧師 ワタシは間違っていたのではないだろうか。
穴女 牧師様が間違っていたというのですか。
牧師 ワタシはここに座り、自らの命をこの穴に投げ出そうとする人々と話をしてきた。
穴女 それは大変すばらしいことでございましょう。
牧師 だがもっとできたのではないかと思うのだ。
穴女 よりですか。
牧師 確かに救えた命もあった。
穴女 みな、牧師様に感謝しておりました。
牧師 だがワタシの力不足で人生を終えた人もいた。
穴女 牧師様はやれることをやったのです。つらいでしょうが牧師様が負い目を感じることはありません。
牧師 本当にそうだろうか。
穴女 牧師様はとてもよくやっておいでです。
牧師 ワタシはそういう自分に酔っていたのではないだろうか。
穴女 酔っていたとはどういうことでしょう。
牧師 一心不乱に自らの身を顧みず、他者の命のために身を削るオノレに心地よさを感じていたのではなかろうか。それは彼らのためだったのだろうか。オノレのためだったのではないだろうか。
穴女 そんなことを考えていたのですか。
牧師 いままで考えてはいなかった。自分なりにではあるが一生懸命やっていた。だがワタシの人生も残りを数えるようになり、思い返すと、いままでやってきたことというのはそういうことではないかと思えるのだ。
穴女 たとえそうであったとしても、牧師様が行ったことは善い行いです。牧師様がどう思おうとです。他人からしたら善い行いであり、批判の対象とはなりえない行いです。
牧師 だが、ワタシ一人では救える命には限りがある。食事の間も用便の間にも睡眠の間も、人生のつらさに耐えきれず人々はここにやってきていたのかもしれない。
穴女 それはいたしかたありません。牧師様は一人なのです。
牧師 なぜワタシは一人なのか。なぜワタシは仲間を作り、組織を作り、ここに来る人々から穴を守る事をしなかったのか。そうすればより人々を救えたのではなかろうか。さらにいえば人生の業に苦しむ彼らを、本当に救うのはここに来た彼らの話を聞くことではなく、彼らが持つ業の根本をなくさなければならなかったのではなかろうか。
穴女 確かにそれはそうかもしれません。しかしです。それを牧師様がしなければならなかったでしょうか。こうやって目の前を助ける行いをする人もかならず必要です。それが牧師様です。組織作りをする人もいるでしょう。苦しむ民衆を救う力を持った人もいるでしょう。しかしそれは牧師様ではなかったのでしょう。牧師様はただ目の前の苦しむ人を助けた。それは紛れもない事実であり、真実なのです。
牧師 穴女よ、ありがとう。
穴女 牧師様、少し休んではいかがでしょう?
牧師 いいのだろうか。
穴女 少し横になってください。人間には睡眠が必要です。寝ることによって健全な心を保つことができるのです。
牧師 ありがとう。確かにワタシは少し疲れているようだ。もう昔のように若くはない。睡眠不足に体が耐えられず、心が悲鳴を上げているのかもしれない。
穴女 お休みください。ゆっくりお休みください。夢が牧師様の人生の疲れを癒してくれることでしょう。人間が生まれて初めて見る夢はどんな夢でしょうね。ワタクシは、きっと海の記憶だと思うんです。海の中でゆったりと泳ぐクラゲや、遊びまわるイルカのように、なにも考えず波にゆられてみてはいかがでしょう。
牧師 ああ、なんと素敵な夢なのだろう。昔母に連れられて行った海を思い出した。
穴女 そうでしょう。お休みなさい牧師様。牧師様がお休みの間はワタクシがここを見ていましょう。ワタクシはただの穴ではありますが、ここにいることはできるのです。もし牧師様が必要ならば起こすことだってできる。牧師様がじっと見ている必要はないのです。これからはワタクシの力を使ってください。ほんの些細なただ存在することだけしかできないワタクシではありますが、牧師様とこうやって話をし、危険の到来を告げる力はもっているのです。ぜひそのワタクシの力を使ってください。
牧師 ありがとう。その言葉に甘え少し夢を見ることにしよう。そしてこれからのことを考えなくてはならない。明日から先の穴を見守るということについて考えなくてはならない。それはきっと大変疲れることだろう。その前に少し休養をする必要があるのだろう。確かにワタシは少し疲れている。
穴女 思う存分お休みください。
牧師 ありがとう。

牧師、眠りにつく。
穴女、歌う。

 あなあなあなあな、なんのあな
  なんだそのあな、へんなあな

なんのあなかな、どんなかな
みたまま、そのまま、まんまだな

あなあなあなあな、へんなあな
なんだそのあな、なんのあな


聞く女がやってくる。
穴女、聞く女に気づいて引っ込もうとするが、牧師との約束を思い出し我慢して聞く女と対峙する。

聞く女 よろしいですか。
穴女 はい。
聞く女 そこは穴ですか。
穴女 はい、穴です。
聞く女 その穴は底なしだと聞いたのですが本当ですか。
穴女 はい、この穴には底がありません。もしかしたらあるのかもしれませんが誰も確認できないほどに深い穴ですので今のところは底なしであるという穴です。
聞く女 あなたは誰ですか。
穴女 穴です。
聞く女 穴ですか。
穴女 はい、ワタクシは穴であり穴なのです。
聞く女 人間に見えます。
穴女 はい、人間の形をした穴なのです。ワタクシは穴でありますが、存在としてヒトでもあるのです。
聞く女 わかりません。
穴女 わかる必要はありません。ワタクシは穴でありヒトでもある。ワタクシを知る人はワタクシのことを穴女と呼びます。
聞く女 穴女さんですか。
穴女 はい。名前があり、ワタクシは穴女となりました。ない存在としてあることがワタクシをここに存在させています。
聞く女 つまりあなたは存在していない存在ということですか。
穴女 はい。穴とはそういうものです。穴はないから穴であって、あっては穴ではない。ないがあるというのが穴なのです。
聞く女 ただの穴なら、ワタシを止めることはできないのですね。
穴女 ええ、もし仮にですがあなた様がこの穴に輝かしい未来を投げ捨てようとしていらしても、ワタクシにはそれを止めることはできません。
聞く女 そうですか。
穴女 ここに飛び込みますか?
聞く女 申し訳ありませんが。
穴女 思い直していただく事はできませんか。
聞く女 今のところ、
穴女 ほんの少しワタクシに時間をもらえませんか。
聞く女 どれぐらいですか。
穴女 ほんの少しでいいのです。ワタクシは穴ですが、話をすることができます。そして思うことがあります。それを聞いてからでも遅くありません。
聞く女 どうぞ話してください。
穴女 ありがとう。
聞く女 ワタシは他人の話を聞くのが苦手で期待しないでください。
穴女 もちろん。ただ聞いてほしいのです。そこに男性が寝ていますね。
聞く女 ええ、とても疲れているように見えます。
穴女 彼は大変疲れています。彼はすべての体力と知力を使い果たすほどに疲れ果てています。
聞く女 彼も穴に身を任せようと来た人ですか。
穴女 違います。その逆です。
聞く女 逆?
穴女 彼の役目はこの穴に命を捨てようとする人を説得する事なのです。
聞く女 なるほど。確かに大変な役目ですね。
穴女 彼は疲れ果てています。そして今ようやく寝たばかりなのです。彼はひどく後悔しています。自分は無力だったのではないか。寝ることを恐れ目を離すことを恐れ自分がここにいることを恐れてしまうほどに疲れているのです。
聞く女 とても大変でしょうね。
穴女 彼は今寝ています。起きた後に気持ちが少しでもよくなっていることをワタクシも期待しています。彼はこの後、自分以外の人間がこの穴を守らなければならないという現実と向き合うことにしています。それは大変つらい作業となるでしょう。そうなる前にワタクシが休養を提案したのです。彼は今とても人生で疲れている瞬間であり、かつ、とても休養が必要な瞬間なのです。
聞く女 とても気持ちよさそうな顔をしています。夢をみているのでしょうか。
穴女 彼はきっと夢を見ることでしょう。昔の夢かもしれない。未来の夢かもしれない。現在の夢かもしれない。
聞く女 穴女さんは夢を見ないんですか。
穴女 そもそも寝ません。存在がありません。
聞く女 そうですね。
穴女 しかしあなた様はこの穴にその身体を落とそうという。
聞く女 はい。
穴女 そうなるとワタクシは彼を起こさないとならないのです。もう少し待ってはいただけませんか。それだけはどうしてもしたくないのです。
聞く女 いいでしょう。
穴女 いいのですか。
聞く女 ワタシも人を苦しめることがしたいわけじゃないのです。人を苦しめたくないゆえにこの穴に存在を消してもらいたいのです。
穴女 ありがとうございます。
聞く女 それではそれまで少しの間、この穴について、そしてあなたの話を聞かせてもらえませんか。
穴女 ワタクシの話ですか。
聞く女 ええ、なぜあなたが存在することになったのか。あなたは何者なのか。
穴女 ワタクシは何者なのか。
聞く女 あなとあなたの話。
穴女 この穴についてまつわる話はしっていますか。
聞く女 なんとなくですが。神様が生まれた穴だと。
穴女 昔、神様がまだいない時代にこの穴を通って国造りの神様が産まれ、そしてこの国を形作ったという物語です。
聞く女 詳しくはしりませんでしたが、なんとなくそんな話を聞きました。
穴女 実際はそんなことはありません。
聞く女 そうですか。
穴女 この穴を掘ったのは一人の男でした。


穴女が穴から出て舞台に立つ。
掘る男が鋤(すき:大きなスコップみたいな物であればよい)を持ってやってくる。

穴女 彼が穴を掘りました。

穴女 あなたは何故穴を掘るんですか。
掘る男 掘りたいからです。

掘る男、鋤を地面に突き立てる。

穴女 彼は土を掘り返しそれを繰り返します。

掘る男、鋤で地面を掘り返す動作を始める。

掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。

掘る男、土を詰める動作をする。

掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。
穴女 なぜ、彼が穴を掘り始めたのか。いつ掘り始めたのか。それについてはなにもわかっていません。

掘る男、掘り起こした周囲を崩れないように固めていく。

掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。
穴女 彼の家は非常に裕福で土地をいくつももっている地主であり、あまり働く必要性もなかったというのが大きな原因の一つであったと言われています。

掘る男、再びいままでの作業を繰り返す。

掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。
穴女 彼はあまり多くを語りませんでした。実際、彼に穴を掘ることを辞めるように求める人間もいましたが、彼はただなにもいわず、穴を掘り続けました。やがて彼の周囲もなにも言わなくなりました。なぜ彼が穴を掘ってはいけないのか。という彼を説得させる理由を見つけることができなかったからです。

穴女 あなたは、何故穴を掘るんですか。
掘る男 掘りたいからです。

穴女 男はただ穴を掘り進めます。

見る女が、やってくる。

穴女 ある日、ある女が彼を訪ねてきました。一日目、昼ごろにやってきたその女は、男の作業をただ、見て、帰りました。
掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。

穴女 二日目、再び昼ごろに女はやってきて、男に声をかけましたが、男は作業中であったため、答えませんでした。女はその日はそれで帰りました。
掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。

穴女 3日目、夕方近くに女はやってきて、男の作業が終了する日没まで待ち、男に声をかけました。
掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。

見る女 あなたは、何故穴を掘るんですか。
掘る男 掘りたいからです。

穴女 男がそう答えると、女は帰って行きました。
掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。

穴女 4日目、再び夕方にやってきた女は男に資料を見せました。その資料はこの場所に関する地質的なものでした。

見る女 この場所には、地下水もありません。さらにいうならば、鉱石が発掘されることもありません。すでにこの場所の地質調査は完了しており、なんら新しい発見があるとは思えません。
掘る男 知っています。
見る女 ならば、なぜこの場所で穴を掘るんですか。
掘る男 掘りたいからです。

穴女 男がそう答えると、女は帰って行きました。5日目、女が朝からやって来ました。そして、男を一日観察し、やはり作業終了後に男に声をかけました。

見る女 今、主流の掘削技術では、網掘りという技術があります。伝統的には上総(かずさ)掘りといいますが、たがねの形をした縄を吊るしそれを上下させて穴を掘る技術です。それで昔は四十五間(けん)ほどの深さの井戸をほっていました。
掘る男 知っています。
見る女 なぜこの場所で穴を掘るんですか。
掘る男 掘りたいからです。

穴女 男がそう答えると、女は帰って行きました。6日目、女はやってきませんでした。

掘る男は、穴を掘る動作を止める。

穴女 その日、男は初めて考えました。穴とはなにかいうことについてです。それまで彼は穴というものについて考えることはなかったのです。何故ならば彼は土を掘っているのであって、その結果穴が生まれてしまうからです。穴を存在させずに、土を掘ることができないということに彼は気づきました。

穴女 7日目。男が作業を終了しようとする直前に、女がやって来ました。女はなにもいいませんでした。

穴女 その日は、男から声をかけました。

掘る男 穴ってなにだろうか。
見る女 空間です。
掘る男 空間。
見る女 正確にはあなたがやっているように、地面にあけられたなにもない空間のことです。
掘る男 なにもない空間。
見る女 あなたの目的は穴ではないのですか。
掘る男 わかりません。ワタシは土を掘り返しました。そうするとどうしても穴ができるのです。それについて考えたこともなく、さらに言えばこれが穴だということすら考えたことがありませんでした。
見る女 ではなぜあなたは穴を掘るのですか。

穴女 その後、男は女に対してこういいました。
掘る男 もうこないでください。

見る女、去る。

穴女 その後女の姿を男が見ることはありませんでした。
掘る男 えいっほえいほっえいほっほ。

掘る男、穴を掘る作業を続ける。

穴女 男の掘る穴は日に日に深くなっていきました。徐々にその作業は困難を極めていきましたが、中断されることはなく続けられました。やがて穴の奥には陽の光が届かなくなり昼と夜の判断がつかなくなりました。

掘る男は掘り続ける。
掘る男は「えいっほえいほっえいほっほ」という言葉を吐きはじめる。
やがて疲労の色が濃くなり鋤を持つ手もふらつき始め息も荒くなっていく。だがそれでも掘る男はやめない。

穴女 そしてついに男が穴から上がらなくなってきました。しかし深い深い穴の底からは男が掘り進める音が続いていました。それが空想なのか実際の音なのかは女にはわかりませんでした。

掘る男は、限界を越えてもやめようとしない。ただひたすら穴を掘る動作を執拗に続けるのである。
そして立っていることですら困難な場面までそれは続けられ、掘る男が倒れこんだ横で穴女が語り始める。

穴女 その後この穴は世界一深い穴として有名になりました。しかし男のことは次第に忘れられ、やがて街の文化遺産としてふさわしいおごそかな由来ができ、人々の誇りと信仰の対象となり、多くの人々の心を揺さぶる穴となったのです。深く底が見えない穴を彼は土を掘るという行為で、我々に見せました。人生を思い返させる空間がそこに広がっているのです。

穴女、礼をして穴の中に去る。
掘る男と聞く女、目が合う。
聞く女、掘る男へ手を差し伸べる。

聞く女 あなたは何故穴を掘るんですか。
掘る男 意味などありません。

掘る男、聞く女が差し伸べた手を拒否し立ち上がる。

掘る男 意味などありません、迷惑です。

掘る男、力強い目線を持って立ち続けている。だが少しして力尽きたように倒れ、穴の中に消える。
同時に牧師が起きる。


牧師 穴女よ。いつのまにかワタシは寝てしまっていたのか。
聞く女 ええ、よく寝ていらっしゃいました。
牧師 どなたですか。
聞く女 ワタシが誰かはワタシにもわかりません。
牧師 わからない。
聞く女 ある時、ワタシは穴のなかから出てきました。その時もう生きる価値のない人間だと決められたのです。
牧師 そんな人はいませんよ。
聞く女 人は生まれる場所を選べないのです。神様がそう決めたとしか思えないのです。
牧師 なにがあなたを苦しめているのかわかりません。その苦しみを誰かに預けてみることはできませんか。共有することはできずとも理解しあうことはできます。一の苦しみの為に百の幸福を捨てることなどありません。
聞く女 ワタシの苦しみはワタシだけのものです。一の苦しみが百の苦しみを生むのです。ワタシは自らの存在に罪悪感を抱え生まれた日を呪うのです。
牧師 初めから幸せな人間は幸せを感じることができるのでしょうか。誰もが苦しみを抱えているのではないでしょうか。人はそれぞれの試練を乗り越えて初めて幸せを得るのです。
聞く女 もしこれが試練だとしたらワタシは何を得ることがありましょうか。そして乗り越える方法もワタシにはわかりません。神はワタシを試して苦しめることでなにを学ばそうとしているのでしょうか。
牧師 神のみ心は神のみぞしりえるのです。我々神のしもべらには認識できぬほど深いのです。もう少し広い視野でみることはできませんか。
聞く女 ワタシには神を見ることができません。聞くことができません。感じることができないのです。
牧師 いいのです。神はただじっとあなたを見て、あなたの言葉を聞き、あなたのそばにいらっしゃいます。
聞く女 なぜなにもしてくれないのですか。

牧師は少し考えてから話し始めた。

牧師 少しワタシの話を聞いてもらえますか。
聞く女 ええ。
牧師 まだワタシが神と出会う前の話です。恥ずかしながらワタシもこの穴に救いを求めに来た一人だったのです。もちろんすべてを消し去るためにです。
聞く女 そうだったのですか。
牧師 昔の話です。そしてここへやってきたのです。たしかにそこには深く黒い永遠の闇がありました。それをみてワタシは初めて現実の恐怖を感じたのです。
聞く女 わかります。
牧師 穴から目を離せずに動けなくなったワタシに声をかける人がいました。それは一人の女性でした。
聞く女 女性ですか。
牧師 ちょうどあなたぐらいの年齢の女性がワタシに声をかけてきました。
聞く女 その方もワタシのような人間をとめるために?
牧師 いえ、違います。
聞く女 違うのですか。
牧師 彼女はただ穴をみているだけだ。と言いました。
聞く女 見ているだけ。
牧師 見ているだけ。ですからワタシが穴に入ろうとすることも止めはしませんでしたし、勧めもしませんでした。
聞く女 そうですか。
牧師 ワタシは彼女に聞きました。なぜ穴を見ているのか。


見る女が、出入り口から現れ牧師の対面に座る。

牧師 なぜ穴をみているのですか。
見る女 穴があるからです。
牧師 穴があるから穴をみてるんですか。
見る女 だって穴があるでしょう。
牧師 ええ、穴があります。穴が好きなのですか。
見る女 好きか嫌いか。好きだと見るけど嫌いだと穴は見ませんか。
牧師 ええ嫌いなものを見たくはありません。
見る女 そうかしら、そういうものなのかもしれません。ごめんなさい。好きか嫌いか考えたことがありませんでした。
牧師 そうですか。
見る女 あなたはこの穴が嫌いですか。
牧師 ワタシですか。
見る女 ええ、
牧師 怖いです。
見る女 怖い?
牧師 ええ、怖くして仕方がありません。ここに死を感じます。
見る女 ここに死があるのですか。
牧師 そしてその先には無があります。なにもない無。そこに惹かれていきそうになる自分に恐怖を感じているのかもしれません。
見る女 無は怖いのですか。
牧師 ええ、
見る女 ないのに? なにも。
牧師 ないことが怖いのです。
見る女 そういうものなのですね。
牧師 あなたはそうではないのですか。
見る女 わかりません。ただ見てるだけです。
牧師 見て、なにも感じませんか。
見る女 ないものを感じるというのがわかりません。
牧師 たしかに穴はありません。ありませんが存在はします。
見る女 ないのにある。
牧師 ないがある。
見る女 ワタシにはわかりません。そもそも穴だとなぜ決めたがるのでしょう。なにもない空間がある。それをわざわざ決める必要性があるのでしょうか。
牧師 穴という言葉がないと、これをどう呼んでよいかわかりません。
見る女 呼ぶ必要がありますか。このワタシの目の前の空間を空間以外の言葉で定義する必要性がありますか。このワタシの下の地面、ワタシの上の空までの空間。名前をつける意味がありますか。
牧師 逆です、名前があるから存在があるんです。
見る女 きっとワタシにはわからないなにかががあるんでしょう。そのあるがないんです。ワタシにはあるがない。
牧師 あるがない。
見る女 それがわかるかと思ってこうやって穴を見ているのです。あなたのようにこの穴を見ていろんな表情をするのです。そしてワタシは聞くのです。なにを思ったのか、なにを感じたのか、この穴の中になにがあったのか。
牧師 そうですか。
見る女 ないがあるんです。
牧師 ええ、あります。
見る女 ワタシにはなにがあるんでしょう。
牧師 あなたがある。この世の中には、穴と穴じゃないものしかないんです。
見る女 穴と穴じゃないもの。
牧師 それがあなたなのです。
見る女 ワタシですか?
牧師 ええ、「アナのホカ」で、「あなた」です。
見る女 なるほど、「アナのホカ」であなた。言葉ですね。
牧師 言葉遊びです。駄洒落ですかね。
見る女 面白い。
牧師 ありがとう。
見る女 「アナのホカ」であなた。「アナのホカ」であなた。
牧師 ワタシもあなたの横で穴をみていてもよいでしょうか。
見る女 ご自由に。

二人、座って穴をみつめている。
ながい間。
やがて牧師がうつらうつらと眠ってしまう。
穴女、笑顔で穴の中へ入り立つ。

聞く女 それでその方は今は。
穴女 この穴に消えたそうです。
聞く女 消えたのですか。
穴女 必死に彼女を探し回った末に、目撃した人が数人。そう証言しました。なぜ彼女がこの穴に入っていったのか、本当の理由はわかりません。自らの意思だったのか不幸な事故だったのか。

穴女、ゆっくりと穴に消えていく。
牧師が立ち上がり、目は穴に注がれている。

牧師 ただワタシは自らの無力さを呪い続けることになりました。どこにも行く気にもなれずここで暮らし始めたのです。
聞く女 そうですか。
牧師 だが人間がこの穴に喰われていくのをワタシの心はただ見ていることができなかった。そしてふと気づいたのです。この穴というない存在をも作った存在がいるのではないかと。
聞く女 神様ですか。
牧師 そうすることで幾分気持ちは晴れやかになったのかもしれません。だがこの穴に吸い込まれた命は戻りません。100人が思いとどまっても一人の悲しい決断がワタシの心を強くむしばんでいきました。その後悔はこの穴への怒りとなりやがてワタシは穴にたいして呪いの言葉を吐きかけ、その言葉でこの穴を埋め尽くしてしまえばよいのだと考えるようになりました。

牧師 しばらくしてから、ワタシの問いかけにこたえる声が聞こえてきたのです。最初それはまぼろしではないかと考えました。だがそれは徐々にはっきりとしっかりと聞こえるのです。そしてある日、声はワタシに逆に問いかけてきました。
聞く女 声。
牧師 お前は何者か。


牧師、穴に頭をつっこむのかというぐらいのぞき込み、語り掛ける。

牧師 穴とはなにか。なぜ穴があるのか。なぜこの穴を埋めてはならないか。ワタシの命を懸けてこの穴を埋めてしまえばよいのではないだろうか。この穴の価値は人一人の命よりも重いものなのだろうか。このワタシの行動は意味などあるのだろうか。死者の魂はワタシを呪い、生きるものはワタシをあざける。ワタシでなければならないのか。ワタシよりも賢く正しいものがやるべきではないのか。ワタシはただこの穴の近くにいるだけの愚かな人間なのだ。誰がワタシを求めているというのだろうか。ワタシはただ救いたい。人々を助け救うことになぜこんなに苦しみが付きまとうというのか。誰かワタシに答えをくれないのか。ワタシは間違っているのか。なぜ誰も答えをくれないのか。なぜワタシはよりうまくできないのか。なぜワタシは無力なのか。穴よなぜなにも答えぬのだ。穴よ、答えてくれないのか。
  お前は何者か。
牧師 だれですか。
  お前は何者か。
牧師 ワタシはこの穴を守る、神のしもべです。こうやって穴を見にやってくる、悲しみに負けた人々の傷ついた魂に神の御業と祝福をただ伝える者です。
  腰に帯をする者よ。ワタシの問いに答えよ。
牧師 あなたはどちら様でしょうか。姿を見せてはいただけないのですか。
  問うてはいけない。答えるのだ。
牧師 わかりました。
  お前は何者か。
牧師 (役者の知りうる自分の家系でも構わない)遠い祖先は豆腐屋をやっていたと聞いておりますがその真実は知りません。知りうる祖父は遠くの街から戦争を経験したのちに近隣の都市でタクシー運転手として働き祖母と出会い父が産まれました。父は近隣の都市で技術工員としてこの街へやってきてその会社で事務員として働く母と出会いました。その母からワタシは生まれました。
  この穴を作ったのは誰か。
牧師 わかりません。この穴はすでに穴であり、穴でありつづけました。
  この穴を穴と決めたのは誰か。
牧師 わかりません。この穴はすでに穴であり、穴でありつづけます。
  この穴を穴と名付けたのは誰か。
牧師 わかりません。この穴はすでに穴であり、穴と呼ばれます。
  お前はこの穴のなにを知っているのか。
牧師 ワタシは何も知りません。ただこの世界の中心に一つ、穴があり。そしてここに悲しみが埋まっているのです。
  その穴はなにかを語ったか。
牧師 いえ、ただそこにあります。
  その穴は人を誘ったか。
牧師 いえ、ただそこにあります。
  その穴は生きているのか?
牧師 いえ、ただの穴です。
  なぜおまえは穴を語るのか。
牧師 ワタシはこの穴に闇を感じるのです。なぜ人々がこの穴に苦しみからの解放を願うのか、その理由を問うているのです。
  ただ穴である。
牧師 はい。ただの穴です。
  この穴ができたとき、お前はどこにいたのか。この穴を人が見つけたときお前はどこにいたのか。この穴を穴と名付けたときお前はどこにいたのか。
牧師 どこにもいませんでした。存在すらしておりませんでした。
  なぜ穴を語るのか。
牧師 あなたは神なのですか。
  問うてはいけない。答えよ。腰に帯する者よ。
牧師 ワタシにはあなたに答える口があるのでしょうか。この耳で聞き、この目で姿を見、そして全身で恥じて、この穴に落とされてもかまいません。
  お前の聞く耳を作り、見る目を作り、そしてその魂を作った。では、お前の問いを聞くものを与えよう。思う存分に聞くがよい。
牧師 なににたいしてでしょう。
  聞くがいい。

最初の着ぐるみを着た穴女が現れる。

牧師 あなたは何者ですか。
穴女 わかりません、ただ穴です。
牧師 男なのか女なのか。
穴女 わかりません、ただ穴です。
牧師 あなたは穴なのか。
穴女 考えてもわからないことはわかりません。ただワタクシは穴でした。
牧師 穴女そう呼ぶことにしよう。
穴女 ワタクシは穴女と呼ばれる存在です。

穴女、歌う。

 あなあなあなあな、なんのあな
  なんだそのあな、へんなあな

なんのあなかな、どんなかな
みたまま、そのまま、まんまだな

あなあなあなあな、へんなあな
なんだそのあな、なんのあな


聞く女 その話は本当なのですか。
牧師 わかりません。ただの夢だったかもしれません。ただその日から穴女がワタシのはなしを聞いてくれるようになりました。実際にこうやって自分の目でこの穴をみて感じて、はじめて穴の存在を体に感じることができるのです。ないのではなくある。それを認めたときに人は神に触れることができるのではないでしょうか。ないのではなくあるがある。
聞く女 そうですか。
牧師 神の存在を信じる信じないは今は問題ではないのです。人はなにかとナイということに執着しますが、ナイがナイのではなく、穴がある。ナイがある。そこからなにかを見て感じることからなにかが始まる。そう思うのです。人間は人間だから穴があるのではなく、穴があるから人間なのではないでしょうか。
聞く女 そうかもしれません。ワタシの心に穴があいたのではなく、穴があいたからワタシなのかもしれませんね。
牧師 幸せというものは自分で決めるものではありません。同時に不幸というものも自分で決めるものでもありません。
聞く女 でも他人にはわからないのではないですか。
牧師 だからここに穴があるのです。
聞く女 穴がある。
牧師 ワタシたちは自分の為に穴を見て穴だと感じ、穴を思うのです。それは幸せも不幸も同じです。ただそこにあることを見て、感じて思うのです。世の中にはどうにもならないこともあります。地震や火事など天災や戦争もある、五体満足でない人もいるでしょう。だがそれを穴だと決めてしまうのではないのです。ワタシたちはそこにないと決めてしまう。ない穴ではないのです。ある穴ではないでしょうか。
聞く女 ある穴。
牧師 ない穴がある。
聞く女 ない穴がある。
牧師 あるはずの穴があるのではなく、ない穴があるのだと、まず見てみるところから始めてみてはいかがでしょう。
聞く女 話が理解できていないかもしれませんが、なにかが見えてきた気がします。
牧師 いえ、下手な話ですみませんでした。
聞く女 ありがとうございます。
牧師 もし穴がみたくなったらいつでも来てください。
聞く女 そうします。
牧師 いつでもいます。いられなくなる時まで。
聞く女 ええ、

聞く女、去る。


穴女 牧師様、少し話を聞いていただけませんでしょうか。
牧師 もちろん。
穴女 ワタクシは穴なのでしょうか。
牧師 おまえは穴じゃないかもしれないのか。
穴女 穴とはなにでしょうか。
牧師 それはどういう意味の質問だろうか。定義の問題だろうか。認識の問題だろうか。言語の問題だろうか。
穴女 全部です。全部を知りたいです。
牧師 それはおまえが一番よく知っているだろう。
穴女 ワタクシは穴です。ありとあらゆる穴であり穴として穴である穴です。ですが穴とはなにか。なぜ穴なのか。と考えるとワタクシは穴ということについて何を知っているのだろうかと思うのです。
牧師 よいか穴女。穴は穴だ。それ以上でもそれ以下でもない。穴は穴。
穴女 穴は穴。
牧師 それでよいのではないか。
穴女 穴は穴。たしかにそうです。
牧師 穴は穴だ。
穴女 そうですね。穴は穴です。
牧師 おまえは穴であればよい。
穴女 ワタクシは穴です。
牧師 ああ、おかげでとてもよく寝た。
穴女 夢は見ましたか。
牧師 見たとも。
穴女 夢の話をしてもらえますか。
牧師 それは明日にしよう。今日はこれから穴に入りに人がこないか見てなければならない。
穴女 そうですね。またあした。あしたがだめならまたあした。やっぱりダメならまたあした。あしたのあしたのまたあした。
牧師 いつか夢の話をしよう。
穴女 ええ。
終わり

引用文献
  11P~13P 旧約聖書(日本聖書協会) ヨブ記より

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使用許可について

基本無料・使用許可不要。改訂改編自由。作者名は明記をお願いします。
上演に際しては、観に行きたいので連絡を貰えると嬉しいです。
劇団公式HP https://his19732002.wixsite.com/gekidankita

劇作家 松永恭昭謀(まつながひさあきはかりごと)

1982年生 和歌山市在住 劇団和可 代表
劇作家・演出家
深津篤史(岸田戯曲賞・読売演劇賞受賞)に師事。想流私塾にて、北村想氏に師事し、21期として卒業。
2010年に書きおろした、和歌山の偉人、嶋清一をモチーフとして描いた「白球止まらず、飛んで行く」は、好評を得て、その後2回に渡り再演を繰り返す。また、大阪で公演した「JOB」「ジオラマサイズの断末魔」は大阪演劇人の間でも好評を博した。
2014年劇作家協会主催短編フェスタにて「¥15869」が上演作品に選ばれ、絶賛される。
近年では、県外の東京や地方の劇団とも交流を広げ、和歌山県内にとどまらない活動を行っており、またワークショップも行い、若手の劇団のプロデュースを行うなど、後進の育成にも力を入れている

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