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自己理解が乏しい人間の吐露

あけてしまいました、2020。ずっと頭にあるのに、なかなかmatouを書けていなかったのですが、結局いつもどおりつれづれなるままにまずは書き出そうと思い手を動かしています。

文字が滑る現象とその顛末

妄言・戯言の類だと分類してほしいのですが、今回はお二人に出会う前の前職退職時の話をしたいなと思います。まえ少しおゆちゃんには話したのですが、むしろその話せたという事実が実在たらしめたと思い、今回は書き出しています。

前職をやめるとき、表向きには「区切りがついたから」「自分がやりたいことと会社の方向性が違ったから」「家庭の都合もあり」など並べていたのですがどれも事実ではあるものの核心の辞職理由ではなかったです。むしろ私の頭の中にあるひとつの妄想が一番の理由でした。

当時の自分は、なんというか順風でした。同期の中で遅いほうではありますが3年目でやっとこさリーダー職につけ、上司やメンバーに恵まれたため、これといった大きな不安はない通常業務と社内システム改修の要件定義という挑戦的業務バランスよくできる環境。また先の見通しもよく、数カ月後には新卒がはいってきて研修、その間にマネージャー講習を受けて、手があけば事業推進のプロジェクトをすすめることができそうだと。自分がどういう場面で活躍できるか、周囲の評価も含めて理解していたので勝ち筋がみえていた気がします。

そんなある日普通におきたら、視覚情報が理解できない状態になりました。
少し詳細に記載すると、通常通り目は見えています。ただ、本当に見えているだけで脳内で処理できていないというか、例えば水のボトルを見てもそれが水のボトルと認識できないんです。でも、脳内は正常に動いている。だから「いま起きたのでこのあとトイレにいく必要がある」と、次の行動を定義すると体に染み付いている習慣を頼りに動き出すことができる。また、少し時間が立つとすっと力が抜けて普段通りの理解度に戻る。

最初は「今日つかれているのかな」とか「貧血気味なのかも」くらいで気にしていなかったのですが、これが不定期に何回も起こるようになってくると流石に自分の体からのアラートだと気がつきました。たぶん、自覚したときにはもう一日の大半、紙の文字が読めなくなっていた気がします。ちなみに私の場合、とくに文字の認識が困難でデータ化したPDFにある文字やまちなかにある光っていない文字が全く頭の中に入ってこないのになぜか電子系(携帯等)の文字は頭に入ってくる症状でした。

とりあえず何が原因か当時は全く心あたりない(と思っていた)ので、ネットで検索して解決策として音読法を試したり、紙資料とかは触らないようにして、仕事にしがみつく強い意思で日常は止めずに過ごしました。また時間を見つけて心療内科にも行ってみたのですが、私がちょうど前の月に頭を打っていたことを問診票で記載していたからか、脳外科医へ回され見当違いの対応に行く気がなくなりうやむやに。結局何も原因がわからぬまま、半年くらい悩まされていたら症状が落ち着きました。

そして、この症状に悩まされていた間、とにかくなにかから逃げたくて仕方なく、結果、退職を決めていました。

・・・

当時を振り返ると、順風満帆な一方で、「ほしいのはこの人生なのか」「没個性で怠惰だ」等と頭を垂れてくる思想的あるいは感傷的な内面の自分はたしかにいて、それを仕事のタスクを増やすことで正当化をしようとしていた時期でもあったんだなと思っています。

話題にした理由、の考察

そしてなんでこんな話をしたかというと、いままたやりたいことをやれているし、順風満帆な生活をしているはずなのに当時の苦しさが脳裏をかすめるからです。

でも、またいまも何が原因なのかわかっていない。だから不安ではあるけれど、でも前回のようにうやむやにせずに今回は時間をかけてこの妄想と症状を見つめていこうと思っています。この先何年も関わっていく、自分の人生なので自分でできる限りコントロールしたい。支離滅裂なのかもしれないけれど、それでも私は私を他人として理解を深めていきたいといまは考えています。

終わりに・・・

碧ちゃんと、おゆちゃんにはいつも不思議な力をもらえます。そんな二人との関係はすごく大切にしていきたい。そして、二人と向き合う時間は私が日常逃げているなにかを見る時間にも似ている感覚があり、今回はこの話題を書かせてもらいました。

日記の頻度をだいぶ下げてしまっている手前非常に言いにくいですが、これからも末永くmatouとしてもよろしくお願いいたします。


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