「好き」がワタシの原動力

こんにちは。
河原部社の河原部者、デザイン担当のフルヤです。
前回の初投稿では自身の事を紹介していなかったので、
今回は自己紹介投稿させていただきますね。

名前はフルヤワカバ。漢字で書くと「古屋若葉」。四文字熟語のような名前です。
春に生まれたから若葉。幼い頃はこの名前があまり好きではなかったのですが、
(おそらく「ば」という響きが可愛くないからだと思います)
今では苗字の存在などいらないくらい気に入っています。

社内唯一の昭和生まれ

平成生まれの若いそりゃぁ輝かしい世代に囲まれながら、
横文字混入会話を脳トレ感覚で聞いている、生粋の昭和生まれ。
幼少時代はちびまる子ちゃんの世界。
プライベートでも現在高校3年生と中学1年生の平成っ子男子の母をしています。

小さい頃に出会った「好き」が今でも「好き」

幼少期のほとんどは祖父母の家で過ごしていました。
祖母はチャキチャキの下町っ子。お酒もタバコも嗜み、
女子プロレスを見てはブラウン管に向かって大声を上げ、
ドリフを見ては大笑いする、そんな陽気な人でした。
一方祖父は温厚で「今日声聞いた?」というくらい無口な人。
陽の当たる縁側に座り、自ら歩いて調達した木盤に絵を描き彫刻する後ろ姿は
今でも鮮明に記憶しています。
そんな無口な祖父も孫が絵を描いたり音楽に触れたりすると、
「上手い!上手い!」と大きな手で頭を撫でてくれました。
その反応が嬉しくて、ただただ祖父に近づきたくてひたすら絵を描き続け、
今に至ります。

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祖父の作品(我が家の家宝)

この頃もう1つ好きになったのが「動物」。
昭和生まれの人なら知っている『わくわく動物ランド』や、
『たけしの万物創世記』を毎週楽しみに見ていました。
ジャングルブックのモーグリみたいに、野生動物に育てられたい!願望が
ものすごく強かった時期でもあります。

何事も3日坊主どころか、ひどい時は思いつき坊主な私が、
幼少期から今の歳になるまでずーっと「絵」は描き続けている。
これは本当に「好き」なんだなぁとしみじみ実感しています。

愛は地球を。絵はワカバを救う。

今もこうやって自分の事を書いているわけですが、
自分の事を言葉で誰かに伝えるという行為がとても苦手です。
「知りたきゃ勝手に知ってくださーい」と言い残し、
柱の影に隠れちゃいたいくらい苦手。
それでもそうは言っていられない場は必ず訪れます。
そんな時の救世主が「絵」。
英語が全く喋れない海外留学生活も、「絵」を見せれば一瞬で
気持ちが通いました。
「絵」のお陰でお仕事の話をいただいたり、親としては赤点級な
私でも「絵」においては子供から尊敬されています。
凹んだ時は、今まで描いてきた「絵」を眺めて、
「こんな絵描けるんだ。私って凄いじゃん!」と励まされたり、
いろいろな場面で助けてもらっているわけです。

本当に願うものは必ず叶う

2020年の終わり頃から、「絵を描いたり、創作活動ができる”箱”が欲しいな〜」
と漠然と思うようになり、そんな想いが生き霊となって飛んだのか(笑)、
空き家があるから自由に使っていいよ。という神様のような人が現れ、
嘘のような本当の話が現実となりました。
気分を上げることには貪欲な私は、気分が上がるものだけを部屋に置き、
2021年の春頃に自分のお城を完成させました。

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貪欲パワーで自分で床張り

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気分が上がる↑↑お気にりの絨毯を敷いて

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壁に飾ればそれなりに見える!

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壁にまで描いちゃったり♪

事の大きい小さいに関わらず、叶ったラッキーな出来事に
心の底から感謝していくと、気分はポジティブになりそのポジティブは
次のポジティブを運んでくれます。(と私は信じてます。)

今この歳になっても「好き」をずーっと「好き」でいられるのは
私の作品を「好き」と言ってくれる人たちの存在と、
絵を「好き」になり「好き」と気付かせてくれた祖父の存在と、
それに気付いてくれた幼い頃のワタシに感謝しています。

次回からちょくちょく「好き」な作品とかをご紹介させていただきますね。
誰かの「好き」に響いたら嬉しいな。

下手くそな文章を最後まで読んでくださってありがとうございます。

ではまた。


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