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「痩せる」と「稼げる」が似ている理由

ここにリンクを貼ることはしないけど、週末、とあるツイートが話題になっていた。どんな投稿かというと、まとめていうと「日本語講師はプラットフォームで稼げるよ。資格もいらない。知らない人多いみたいだから教えてあげるけど、有料ね」というもの。これに対して、日本語教師を名乗るアカウントが次々に「それはちょっと違うんじゃないの」と異議を申し立てたというわけだ。ちなみに、元の投稿をした人が海外ノマドのWebデザイナーのようで、日本語講師は割のいい副業にしているようだった。

このことについて、何がこう人々の気を引くのかと思ったのだけど、それは「稼げる」というワードにあるのだと気がついた。多分、これが「仕事の合間にボランティアやってる。楽しいよ」「日本語教師になった。給料安いけど、やりがいがある」くらいのツイートであれば、誰も見向きもしないだろう。それほどに「稼げる」というワードには麻薬的な何かがある。そしてSNS上には「稼げる」または「稼いだ」というワードが溢れかえっている。そういうノウハウを知りたい人と売りたい人の需要と供給がマッチしているようだ。かくいう私もこのnoteでノウハウを書いた文章を売ったこともあるし、買ったこともある。あまりうまくいかなかったけれど。

そんな経験をふまえ考えたことは「稼げる」と「痩せる」は似ているなということだ。何が似ているかというと「やり方はわかっているのに、根性がなければ達成できない」という点だ。「痩せる」方法はみんなわかっている。消費カロリーが摂取カロリーを上回ればいいのだ。それなのに、みんな食欲に負けてしまう。悔しい。どこか簡単に痩せられる方法はないか。と血眼になって探している。だから「痩せ薬」なるものがあり、それを買う人がいるのだろう。しかし、おそらくそれで痩せることはあるまい。

「稼げる」も同じだ。誰しも「稼ぐ方法」は知っている。会社員では給料なんてたかがしれているので、起業し、失敗しながらも事業を大きくしていくしかない。または、自分に投資してなんとか給料を上げていくしかない。しかし、人は失敗するのがこわい。だから起業したり自己投資に大金を注ぎ込む勇気が出ないのだ。だからこそ、「簡単に稼げる」という言葉に惑わされてしまうのだ。

「お金が欲しい」と思いながら、今その願いが叶っていないなら、するべきことは2つだ。いますぐお金を稼ぐになる努力を始めること。(多分それは何かの情報を買うことではない)または、今お金持ちになれない自分を受け入れることだ。受け入れられないから、性懲りもなく、情報商材を買ってしまうのだと、経験上、そう思うのだけど違うかな。お金を稼ぐ方法と戦略を自分の頭を捻って考える。それを実行する。失敗したらもう一度、それを繰り返しコツコツとやっていくしかない。どう考えても。楽して稼げる道はあるかもしれないけど、ないと考えたほうが無難だ。日本語学校で働こうが、プラットフォームに登録しようが同じことだ。

地道な努力。これに勝る近道なしだと再確認させられた。週末だった。





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