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ショートショート15.『HOPE』


「まいどあり!大事なのは、HOPE やで!」

『八百屋の田中』のヒデおじさんは野菜を買った私に、酒焼けしたガラガラ声でいつもそう言った。ヒデおじさんのその変な決まり文句は、やけに耳に残った。HOPE …希望。希望をもって生きろと私に言っているのだろうか。私ってそんなに希望を持ってなさそう…? たしかに私は自分の人生に意味を見い出せていない。私は何のために生きているのだろう。何をするために生まれてきたのだろう。そんなことを考えながら、私は真っ赤なトマトをかじった。

ヒデおじさんの姿が店先からなくなったのは、それから1週間後のことだった。私は野菜を買いに『八百屋の田中』へ行ったが、珍しくその姿がなかった。カボチャのような体型の従業員の女性に聞くと、ヒデおじさんは今入院しているという。しかし詳しい話は誰にも話すなと言われているらしく、それ以上のことは教えてくれなかった。私はいつも通り野菜を買った。しかしいつもの決まり文句は聞こえてこない。心なしか、トマトの色がいつもより淡いように感じた。



トントン。

私はゴボウのように細い足の看護師に案内されて、ヒデおじさんの病室の扉をノックした。私はどうにかカボチャの女性から入院先の病院を聞き出していた。どうぞ、と聞き覚えのあるガラガラ声。扉を開けるとそこには見慣れた優しい顔があった。なぜだろう、ヒデおじさんの顔を見ると、頭の中でヘチマが思い浮かぶ。

「おお、久しぶりやな。野菜食ってるか?」

久々の会話がそれか…。この人はやはり変な人だ。この人の頭の中はレンコンのようにスカスカなのかもしれない。

「野菜は毎日食べています。具合はいかがですか?」

「わしは元気モリモリブロッコリーよ!野菜食ってるからな!」

ヒデおじさんは両手でグーとパーを交互に繰り返す。私にはその意味は分からない。ごつごつしたその手は里芋を連想させ、ごしごしと洗いたくなる。

「それより一つ、話をしてもいいか? 野菜にはな、『旬』というものがある。野菜それぞれに新鮮で一番おいしくなる季節がある。その野菜が一番輝く瞬間だ。旬が終われば土に還り、次の新しい芽が育つための栄養になる。わしの旬はもうとっくの昔に終わった。でもお前の旬はまだまだこれからや。これからきれいな花を咲かせ、瑞々しい果実をつけろ。茄子には茄子の、ニンジンにはニンジンの旨味がある。他人と比べるな。強い日差しや台風のように、辛いことがこれからきっとお前の前に立ちはだかる。それでも負けるな。わしが足元からしっかり支えてやるから大丈夫や。お前は強い。大事なことは、もうわかってるよな?」



ヒデおじさんが亡くなったのは1か月後の雪の降る日だった。棺の中で眠る、大根のように白い顔。冬の時期、野菜は凍らないように糖分やビタミンを蓄えるため、甘みが増すのだそうだ。ヒデおじさんも今きっと必死に糖分を蓄えているのだろう。
多くの人が棺を囲み、故人を悼む。遠目から見たら大きなしめじのよう。みなで棺の中に野菜を入れていく。私もサツマイモを入れさせてもらった(この先は不謹慎だから言えない)。棺の中できれいなサラダができあがった。みなが最後の別れの言葉をドレッシングのようにかけていく。涙が止まらない。私のことを初めて気にかけてくれた人だった。ジャガイモのように土に埋まっている私を見つけて掘り起こしてくれた。感謝してもしきれない。なぜこんな人が病気で死ななきゃいけない。神様が目の前にいたらモヤシをたくさん投げつけてやるのに。ゴーヤをたくさん投げつけてやるのに。毬栗をたくさん投げつけてやるのに。
ヒデおじさん、あなたは私のHOPE です。希望です。安らかに…。



「ありがとうございます!大切なのはHOPE ですよ!またお願いします!」

私は『八百屋の田中』でヒデおじさんの後を継ぐことになった。その変な決まり文句に、お客さんからは変色したタマネギを見るかのような目で見られることもある。しかし私はもうそんなこと気にしない。他人の評価などどうでもいい。私は私。私は心に芯のある人間になるのだと、あの時ヒデおじさんに約束したのだ。店先に並んでいる、立派なキャベツのように。


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