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ショートショート10.『心臓』

私の心臓は今、Wi-Fi で動いているらしい–––。

私が運転していた車に大型トラックがぶつかってきたのは1ヶ月も前のこと。買い物をして家に帰っているところまでは覚えているが、その次からの記憶が病院の集中治療室だった。全身が痛い。どうして?ここはどこなの?拓海に会いたい–––。

医師によると、私は交通事故に遭い、救急車で病院に運ばれすぐに手術をされた。事故の衝撃で胸を強く打っていたため、私の心臓はすでにボロボロで、心臓が脈を打つための電気信号が完全に機能を失っていた。そこで医師は未だ日本では未公認であるIOH(Internet of heart) と呼ばれる手術を行った。私の心臓に特殊なチップを埋め込むことで、「脈を打て」という命令を、体の外から行うというものだそうだ。この方法しか私が助かる方法がなかったみたい。

手術から3週間がたち、だんだん痛みも和らいできた。半年後には拓海と結婚式を挙げる予定だったのに。こんな体じゃ延期よね。コロナのせいで面会もできやしないからほんと退屈。でもどっちにしろ、拓海は仕事であと半年は東京から戻ってこないか。気づくと拓海からLINEが届いていた。

『体調はどう?退院したら一緒に海を見に行こう。冬の海もきっときれいだよ。』

入院中の唯一の楽しみが拓海とのLINE のやり取りだった。拓海は海が好きで二人でよく行っていた。でも私本当は海があまり好きじゃないの。子供のころ海で溺れたことがあって、どうしても思い出してしまうから。

『だいぶ痛みも和らいできたよ。どうせならついでにウエディングドレスが似合う体に手術してもらえばよかった、なんて冗談。早く会いたい。』

手術から1ヶ月後、ようやく退院できた。病院の外に出るときは必ずポケットWi-Fi の機械を持ち歩くことになった。この日は思い切って一人で海にでかけた。車に乗るのはトラウマになっていたので電車で近くの海に向かった。入院している間にかなり肌寒くなっている。電車の窓から海が見えると、気のせいだろうが、胸の鼓動が早くなった気がした。駅から浜辺まで歩き、座って夕陽を眺める。私は胸に手を当てると心臓の拍動が伝わってきて、私は生きているのだと実感した。ポケットから小さな機械を手に取る。私のこの心臓の拍動の速さ、強さ、リズムはすべてこの機械によって一定にコントロールされている。こんなちっぽけな機械が私の命綱。バッテリー残量79%。つまりこのまま充電しなければ私の命はあと79%ってこと。なんだか笑える。私はこれから命を充電して生きていく。ロボットになったみたい。この機械のおかげで私は生きていられる。でもその代償に、ホラー映画を見た時のあのドキドキや、初めて拓海と出会った時のあのドキドキがもう感じられなくなるって思うと少し残念…。あー、寒い。そろそろ帰ろう。立ち上がった拍子に小さな機械を砂の上に落としてしまった。カバーのようなものが外れて、何か紙切れが出てきた–––。



「…ですか⁈ 大丈夫ですか⁈ まだ息がある!とにかく海から引き上げるぞ!」

…何?…寒い。ここは?今何時?心臓…充電しなきゃ…。充電…そうだ…拓海からの手紙を読んでわたし…拓海のところに…。

『美樹へ。驚かないでって言っても、君は驚くだろうね。君が事故に遭ったと聞いて僕だって驚いたんだ。僕は急いで東京から病院へ向かった。病院に着いた時には、美樹は人工心肺にのせられていて、先生にはもう手の施しようがないと言われた。でも僕は美樹を助ける手段がただ一つ残されていることを知っていた。心臓移植。先生には有り得ないと手術を断られたが、僕は本気だった。美樹を助けるためなら僕は何でもする。幸い僕はドナー登録していたので、手術してくれないのであれば、今から病院の前で事故に遭って死ぬから心臓は美樹に移植してほしいと、ほとんど恐喝のように説得した。先生には申し訳なかったけど、これは僕の一生のお願いだと頼みこむと、僕の意思を尊重してくれた。僕の心臓を移植したことがすぐにバレないように周りの人たちに協力してもらって、LINE で僕のフリをしてもらったり、架空の手術をすることにした。騙してごめんね。もう時間だ。美樹、愛してる。僕はいつも美樹の心の中にいる。』

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