好きだから続けられる。
【豌豆の葉の白く枯れたるを見て「チョウチョウ」と言う我が娘かな】
今日は短歌。
さやえんどうって、収穫期に入ると下の方から段々と黄色く白く枯れていきます。
その薄く緑がかったような、色素の抜けた白い葉っぱを見て、娘は一生懸命「チョウチョウ!」と言っていました。
これが可愛くて可愛くて(親バカ)
なんとか情景を残そうとしたのですが、長すぎて。
短歌になりました。
好きだから続けられる。
noteではこれまで俳句ばかり書いていましたが、基本的には短歌の方が好きでした。
中学生のときから投稿サイトに投稿してました。
批評してもらったり、競いあったり。
中学生なので、基礎もへったくれもなく自由に書いていましたが、今になっても基礎は身についている気がしません。
でも、それはそれで良いのだと思います。
自由に書いて楽しかったから、今も続いています。
文学は生き物です。
伝えるための基盤は大事です。
でも、必ずしもセオリーが大事なわけではない、と思っています。
ちゃんと伝わって、共感や感動をうむ文章であればいい。
わからないなりに短歌を書いて人に読んでもらっていた中学時代。
おそらく短歌らしくないものもあっただろうし、同じ題材でも、もっと技巧的にすることもできただろうと思います。
当たり前ですが、技巧的と言われたことは一度もなく、いつも「情熱的」と言われていました。
それがいい、そこが好きだと言ってもらえていました。
それでいいんだと思います。
書きたいものを書きたいように書いて、それが評価されるようになれば、文学はまた進化する。
これは文学に限ったことではなくて、きっと音楽も芸術も同じだと思います。
だから、もっと自由に俳句や短歌や文章を書く人が増えたらいいなぁと思います。
表現することって楽しい。
人の表現を感じるのも楽しい。
うーん、眠いせいか、ホルモンのせいか、うまくまとまらず分かりにくいことを書いてしまいました。
こういうときはさっさと寝よう。
今日もよく生きました。
娘は今日も可愛かった。
感謝。
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