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無益な時間を過ごしてみる

わたしは有益なものが好きだ。
何かをしたら、実になるものがほしい。
どうせ行動するなら、役に立つことをしたいと思う。

無駄なことは極力したくない。
なるべく余計な行動が減らせるように、効率的にこなせるように、楽できるように。
そんなことばかり毎日考えている。
(その割にスマホで時間を溶かすのだけど)

昔から好きなハンドメイド。
折り紙、フェルト、つまみ細工など色々はまってきたけど、作ったものが使えないのが引っかかる。
気付けば、刺し子のふきんや子ども服など実用的なものばかり作るようになっていた。

庭に植えるなら、実が食べられる木が良い。
「英語を勉強するため」など理由がなければ、ドラマや映画が見られない。

…え、引いてます?ちょっと極端な自覚はありますよ。

まあそんな感じで、実用性や目的がないと行動に繋がらない。
無意識のうちにそんな選択をしてしまっている。

子どもが産まれてからは一層拍車がかかっていると思う。だって使える時間が限られてるんだもの。

実用的で、役に立って、有益なものが全てではない。
頭では十分わかっている。

わかってはいるものの、いざ時間ができたとなるといかに時間を有効に使うかばかり気にしてしまう。
せっかくなのにもったいない、と思ってしまうのだ。

強迫観念というか、恐怖感にも近い感情だと思う。

有益さへのこだわり。別にそれはそれでいいや、とあまり気にしないでいたのだけど。

最近、それが少し変わってきた。
何だか無性に「役に立たないことをすること」が気になる。

たまにはそんな日を作ってみようかな。
でも無駄なことをする暇があるの?
その時間があれば、勉強やSNSの投稿、ブログ等々あれこれできるんじゃない?

そんな葛藤が続いている。

無益なやりたいことって?

ゆっくり映画を見る?とも思ったけど、子どもがいてもできそうなことを優先してみた

ぐるぐる考えていても時間だけが過ぎそうなので、一旦手帳に書き出してみることにした。

ずっとやりたいとは思いつつも、時間がもったいないと思って選択肢から消していたこと。

とりあえず4つ出てきた。

よしやってみよう、とは思うものの、最後の踏ん切りがつかない。
怖い。

その怖さって何だろう?
また書き出す。
(痕跡をそのまま載せてみます。読み飛ばしても大丈夫)

とりとめもなく書き出してわかったのは、

成功させたいことがあるのに、他のことをしているとうまくいかないのでは?

という思い込みだった。

自分で書いてちょっとびっくりした。

自由に使える時間が少ない分、ひとつのことに集中したいというのは至極真っ当。

でもわたしは昔から1つのことに集中できなくて、受験生だろうがなんだろうが色々手を出してきた。

それが自分の弱点だと思っていたし、コンプレックスに近い感情があった。

なのに、いつの間にか真逆になっていたとは!

それに気づくと、怖さは消えていた。
昔のわたしができていたなら、たぶん大丈夫。

ということで、

  • 手帳デコの研究

  • 子どもと時間を気にせず過ごす

  • 早朝の散歩(後から思い付いた)

この3つをやってみることにした。

ちょうどコロナで保育園が休園になったのも大きい。

普段はない時間にやるのはちょっとズルかもしれないけど、最初のハードルは低い方が良いよね。

やってみた結果はまた追記します。

やりたいことから離れてみた(結果編)

ということで、5月末の1週間くらいで実践をしてみた。

その間は、いつもは自分時間の最優先になっているものは後回し。

  • ブログは触らない

  • 勉強もしない

  • 必要最低限以外のタスクをやろうとしない

  • その結果、手帳もあまり触らず

代わりに、

  • 手帳デコを楽しむ

  • 時間を気にせず子どもと遊ぶ

をやってみた。

やってみて気付いたことは3つ。

獣の目がなくなった

今までは、いかに隙間時間にやりたいことをねじ込んでいくかばかり考えていた。

常に獲物がいないか周りを見回している獣のよう。

それが、やめてみると気持ちがゆったりするし、思考にも余白が生まれたような気がする。

獣モードを常にONにしておくのは、思っていた以上にキャパを食っていたみたい。

純粋に楽しさだけを味わうのも悪くない

勉強やSNSの投稿作成、ブログなどはわたしにとって趣味と仕事の中間くらいの位置付け。

楽しい気持ちが大きいけれど、見返りを求めている部分もある。

見返りは考えず、純粋に楽しいだけのことをやってみると、楽しさが清々しい。

「楽しかったね」で終われるって良いなあと思えた。

ただ、もうこれは職業病なのか(仕事じゃないけど)、手帳デコを楽しんだ後、これをインスタに上げるならどんな投稿にできるかなと考え始めてしまった。

まあ、純粋に楽しんだ結果が何か形になるならそれはそれで。

メリハリを付けるのが苦手

これは行動を起こす前、あれこれ考えていた時から思っていたのだけれど。
わたしはメリハリを付けるのがかなり苦手のよう。

ONとOFFがシャキッと切り替わらない。ずるずるいく。

仕事がある日は仕事モードのまま家事モードへと、自分時間を挟む余地がない状態のルーティーンができあがっているから何とかなる。

問題は自分時間が長く取れた日。

予定があって有休をとり、自分時間が多く取れた日は夕方以降の家事がまあ進まない進まない。

続きができないかなと思って、ついスマホを開いたりiPadをのぞいたりしてしまう。

できたところで数分だし、家事が遅れると寝るのも遅くなるし、子どもへの返事も上の空になるし、良いことが全くないのはわかってはいるのだけど。

で、本筋に戻ると、ゆるーく楽しんでいると自分時間と家族との時間の境界も良い意味であいまいになってくることがわかった。

入れ込みすぎない分、戻ってくるのも早いし、邪魔されてもそんなにイライラしない。

メリハリをつけられるようにするより、まずはつけやすい状況を作ってみれば良いのかな。

これからどうする?

じゃあ今後はどうするか。

すきま時間を探したり、朝活に必死になったりしなくて良い生活はすごくすごく楽だった。

もうこのままでも良いかなとちょっと思ったくらい。

でも結局、ブログも勉強も再開をしている。

やりたいことをやるために、理想の暮らしに近づくために、日々試行錯誤し続ける方がわたしには合っていると思ったから。

元々だらけ癖がひどいから、何も結果を求めずに好きなことだけやっていたら、スマホ三昧、ふとんから出ない生活、適当すぎるごはん…生活が破綻するんじゃないかと思う。

逆説的に聞こえるかもしれないけど、有益なことを追うことで生活が保てていることも今回よくわかった。

今回みたいに少し離れる期間もたまに設けつつ、変わらずやっていこうと思う。

最後まで読んでいただきありがとうございました。




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