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勉強ができるという長年のコンプレックスから抜け出した話

「あたま良いね」
たぶん、これまでの人生で1番多く言われたほめ言葉はこれだと思う。
でもそれを言われると、恐怖感で心がぎゅっとして、「そんなことないよ〜」なんて言いながら顔は引きつる。

わたしはそんなにできる人間じゃない。期待に応えられないかもしれない。何もできない人だと思っていてほしい。初対面で学歴だけで判断しないで。

捉え方の問題なのだけど、褒められると相手の自分に対する期待値が上がり、それを下回ってがっかりされる想像ばかりが頭を占めてしまう。

そんな思いで10数年過ごしていたのが、ここ1、2年でもう良いかなと思えるようになりました。
自分の中で区切りを付けるというか、清算したい思いがあって、今回これまで人にほとんど話してこなかったコンプレックスについて書いてみることにしました。

コンプレックスができるまで

コンプレックスになるような何か大きな1つのことがあったわけではないんです。
始まりは高校1年生の時。それから社会人3年目くらいまでにあった小さなことが蓄積されて、ちょっとずつ嫌だな、怖いなという気持ちが増えていくようになりました。

その中からいくつか概要を書くとと、

・高校生の時、3年間部活を頑張って引退して、受験勉強に打ち込んでとお手本のような生活をしていた友人が大学受験に失敗。一方、部活は1年ちょっとで退部、受験勉強のエンジンがかかるのも遅かったわたしは第一志望に合格。(授業も宿題も課外も真面目にはやってた)世の中理不尽だなと強く思ったし、自分がすごく嫌になった。

・就活のグループディスカッションなどでの自己紹介は、大学名と名前が一般的。大学名を言うとすごいですねと言われるのが嫌すぎた。ハードルが上がった気がした。グループディスカッションなんて大の苦手なのに。

・就職後も1〜2年は出身大学を聞かれることも。言われた時にどんな反応をしようと身構えるが、それもすごいと言われるのを待っているみたいで自己嫌悪。当時は営業職だったが成績は決して良くなく、勉強しかできない人だと思われてるんじゃないかと思って落ち込む。(面と向かって言われたことはないけど)

こんな感じ。

自意識過剰だと思うかもしれないけど、相手の期待を下回って失望されたらどうしようという恐怖感がとにかく強くて。特に初対面〜3回目くらいまでの人との会話はかなり身構えていた時期もありました。

あと、学科試験に関しては平均より短時間で習得できている自覚があったものの、自分は見合う努力をしていないのに結果だけ得ているずるい人なんじゃないかという思いがずっと消えず。
いつか大失敗すれば良いのにと願いながらも良い結果が出たら出たで安心する。その矛盾を解消できない自分にもイライラが募って落ち込むループでした。

コンプレックスから抜け出すまで

今は同じ言葉をかけられたとしても常に全くの平常心という訳ではないけど、まあ普通にやりとりができるようになりました。
その理由について今回改めて考えてみると、4つ思い浮かびました。

1つ目は時間の経過
「結局時間かい」って思うかもしれないけど、やっぱりそこは大きい。
単純に、年を重ねるごとに学生時代の話をする機会は減ります。新しい人と会っても、仕事や趣味の話はしても出身大学の話なんてそうそう出てきません。
そもそも遭遇する機会が減ったことで嫌な感情も薄れてきました。

2つ目は、机の上の勉強だけが正義じゃなくなったこと
学生時代は、成績の占める割合がとにかく大きい。でも社会人に求められているのは、コミュニケーション力とか他人に対する気配りとか、机に向かう勉強以外の要素の割合が増えます。
はっきり言ってしまうと、勉強ができたところで全然目立たないんですよね。

単に、学生時代によく使う能力と自分の得意なことがたまたま一致していただけだったと気付いたら気持ちがだいぶ楽に。
目を背けたいと思いながらも勉強に囚われすぎていたことも自覚でき、他の力を伸ばしたいと思うようになりました。

3つ目は、自分のスキルを因数分解して考えられるようになったこと
勉強ができる=広く浅く概要を掴むのが得意、概要から要点を掴みやすい、暗記が得意
など、実際のスキルは細分化して捉えられます。

自分が得意なスキルを言語化することで、じゃあどう活用できるだろうか?と意識が変わりました。
これまで一括りで嫌だと思っていたのが、得意なことを自分で意識的に利用できるように。苦手だと思っていた人が、よくよく話を聞いたら良い面もあるのに気付いて、話が盛り上がる場面もできた感じ。

得意なことの認識と同時に自分が苦手なスキルも自覚できるようになり、どうすれば自分がやりやすい方法で物事を進められるかも考えられるようになってきています。

4つ目は、自分の失敗に対して寛容になれたこと。
失敗を恐れる気持ちは昔から強くて、小学校の終業式みたいなランドセル不要、手提げでOKの日なんかは、本当にランドセルなしで行って良いのか怖すぎて、人通りが多い道路までコソコソ行き、様子を伺ってから向かう(小学生が見つからなかったら一度家に帰る。笑)ようなことをしてたくらい。

その気持ちをよくよく探ってみると、自分自身へのがっかり感よりも他人にどう思われるかをかなり気にしていたんです。

今も失敗への恐怖感はあるけど、他人はさほど自分へ興味を持ってないし、言わなければバレない失敗も多いと実感できるようになってだいぶ楽になりました。小さいミスなんて日頃いくらでもやってるじゃん!と気付けたのも大きいかもしれません。


こんな感じで凝り固まっていたものが少しずつほぐれて、だいぶ楽に過ごせるようになりました。
あのなんとも居心地の悪い、いたたまれない気持ちで時間を過ごすことはきっともうないはず。0ではないかもしれないけど、まあ今なら大丈夫でしょうと楽観的に考えています。

先日、わたしが以前取得した資格試験を受けるも不合格だった人から「頭良いですね」と言われたんですが、「試験勉強だけはできるんですよ〜」とふつうに冗談で返せたこともあって、このタイミングで書いて清算して次に行こうと思ったんです。
長い間、重い荷物を運んでいたわたし、おつかれさま。

自己満足のために書いた文章を最後まで読んでいただいたあなた、本当にありがとうございました。


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