経験は種なり。
「占い師さんは色々わかっていいですよね」
たまにこう言われるが、何かが起きても「そういう時だ」と考えられるのは良いことのように思えるのかもしれない。
しかし、「そういう時」だろうがなんだろうがズブズブに落ち込んだり、血管がぶち切れるぐらい怒ったり、誰かに嫉妬したり、、、そんなのは「しょうがない」と片付けられるものではない。
それでも人生に無駄はなし。
若かりし頃、ドアノブの外れるボロ家に住まざるを得なかった時期のことも、AV制作会社に間違えて面接に行ったことも、、まあ色々あるがこんなのは序の口、今となっては笑い話。
とんでもない体験すらも「この惑星の配置」なら「こんな事が起きる」という貴重なデータだと思えるのは、確かに占星学を学ぶ者ならではだろう。
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ただ未来については、どんなに良いタイミングがわかったとしても、自らが動いて仕掛けていかなければ物語は始まらない。
「自分が切り開かなければ道は開けない」
これは誰にとっても同じこと。
むしろ、人のことばかり見つめている占い師よりも、自分の心の動きをちゃんと感じて自身の気持ちに正直に生きている人は、星の動きなんか知らなくても変化のタイミングをしっかり捉えているように思う。
変化のタイミングはステキな出来事とは限らない。ざわざわやワクワクだけでなく、この世の終わりに思えるような出来事が起点となることだってある。
でも、あの時の「あれ」があったからこそ、と思える時が必ず来る。
私自身、願っても願っても手に入れられなかったものもあるし、人様にお話できないような経験もした。
だからこそ言えることもある。
どんな経験も種なり。
種は必ず芽吹く。