まいご

昨夜、布団で転がっていると着信があった。電気をつけずにいたため、スマートフォンの灯りが暴力的なまでに眩しく、思わず目をしかめた。のそりと起きだして枕元のスタンドライトをつけた。真っ暗な世界から、一瞬で明るい部屋に飛び出した時の、この不快感と違和感はどれだけ年齢を重ねても慣れることはない。

「もしもし・・・。」

スマフォの向こうでは、力のない姉の声が聞こえてきた。続けて遅くにごめんね、とこちらを気遣う言葉をかけてくれた。

「ううん。大丈夫だよ、どうしたの。」

やっと意識が覚醒し、目も開いてきた。眉間を人差し指と親指でつまみながら、努めて明るい声を出す。

「ちょっと、聞いてほしい。前から言ってた武さんがさ・・・。」

見当はついていたが、果たして恋愛がらみの愚痴だった。姉が思いを寄せている武さんとやらは、同じ職場の先輩らしく、姉のアプローチの甲斐あってもうデートは何回かしている。しかし、姉がいくら思いを直接的にアピールしても(ほぼ告白)、向こうは確定的な返事はせず、のらりくらりと逃げられているようだ。そんな煮え切らない男は止めておけと、口を酸っぱくして訴えたが、完全に恋は盲目状態の姉には届かなかった。山のふもとからいくら叫んだとて、山頂にいる人間には一切の声は届かない。虚しさが漏れ出しそうになり、慌てて息を吸い込んだ。私の心には、もう何も入り込む余地がないのに、無理矢理吸い込んだ溜息は、体の隅々まで染み渡る。

「うん。うん。えっ、なんだそれ。」

感情をこめて相槌を打つが、偽りの共感が透けいるのではないかと心配になる。本当は体も心も疲労で悲鳴を上げている。けれど、電話を切ることはできない。

「うん、そうかぁ。でもそれは・・・。」

相談とは名ばかりで、ただひたすらに愚痴と不安を聞いてほしいのだ。たまに、むき出しの肌を羽毛でなでるように相槌を打つ。どうしようもなく誰かの優しさに触れたいことがある、私にも痛いほどわかる。

「姉ちゃんはいつもがんばっとるよ、うん、大丈夫、きっと上手くいくから。」

心からの言葉を述べる。姉は、うん、ありがとう、いつも聞いてもらうばかりでごめんね。本当にありがとう、と感謝の言葉をくれる。幸は大丈夫なの、と私の様子をうかがうが、私は大丈夫だと即答する。弱っている人間に黒く醜い悩みをぶつけることはしたくない。

私はやるべきことも、たどるべき道もわかっている。迷子になりようがないはずなのに、何でまっすぐ歩けないんだろう。納得したくない気持ちがあるから、心の支点が固定されないのだろう。わかっているけれど、わかりすぎて、つま先をどちらに向けたらいいのか分からない。ほんとにどれだけ矛盾しているんだよと、自分に失笑するけれど、こんな自分を笑ってくれる誰かはいない。


続きます。



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