わたしたちは理性的な「動物」である

わたしは、映画「寝ても覚めても」が好きだ。朝ちゃんという女の子が、熱病に浮かされたように恋をした相手麦(ばく)と、自分のことをひたすら愛してくれる麦にそっくりな男性亮平の間で揺れうごくお話なのだけど、見ていると数年に1度訪れる恋の始まりを思い出して顔がカーッと熱くなる。

映画の中では海が朝ちゃんの揺れ動く心情のメタファーとして映し出される。荒れ狂う波のような衝動に突き動かされて突拍子もない行動をしたり、波が引くように我に返ったりする様子は観ていてヒリヒリする。自分自身の今までの恋の色んな場面が浮かんでは消えていく。


こんなに濃厚な関係で過ごしていたら離れられないだろうなと思った。だって恋は衝動だもん。そんなのはただの性愛だよ、という人もいるかもしれない。そうかもしれないけど、だったらよけいに甘美で離れがたい。理性的な恋は存在しないと思っている。


わたしは、「初恋の相手と結婚しました。」と嬉嬉として自己紹介の挨拶がわりに告白する人がきらいだ。早々にすてきな人に巡り会えたのは喜ばしいことだけど、その言葉の裏には純潔こそ正義だという価値観が透けて見えるからだ。そして、わたしは正義を体現していますというアピールにほかならないからだ。だって、それ以外にそんなことをわざわざ言う理由が見当たらないんだもの。


わたしたちは理性的な動物だ。理性的だけど「動物」なんだ。目の前にいるすてきな相手を理性的にやり過ごせない時がある。経験したことがある人には分かるでしょう?あの波に乗み込まれるような衝動が。

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