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「小児科看護師」が不妊治療を5年経験して決断したこと


不妊治療を5年経験した私は
大学で小児看護を専攻後

看護師として
小児科病棟で6年
小児科クリニックで2年半
働いた経験があります。

「子ども」と触れ合うことが
当たり前だった私が

自分の「子ども」を授かるために
不妊治療の道を歩むことになりました。



私は
28歳で結婚。
29歳から不妊治療を開始。

2度の流産とバニシングツインを経て
現在は残った1人をお腹の中で育てています。

私は不妊治療中
『不妊治療ありきでの生き方』
のヒントを探して
経験者の記事を読み漁りました。

私も誰かのために
不妊治療5年間を乗り越えた方法を
シェアしていきたいと思います。




子どもの生死に向き合った病棟時代

大学病院に就職を決めた私は、希望が叶い小児科病棟に配属されました。そして早速、大学を卒業したばかりの私には予想もしなかった「患者さんの最期」を、着任1週間で経験することとなります。

大学病院の小児科は、重症や難病の患者さんが多く、「小児科で診る疾患」の人はどんな年齢でも受け入れていたので、0歳から50歳オーバーの方まで幅広く対応していました。

「小児科で診る疾患」の方でも一定の年齢を超えたら他科で受け入れてもらうのが理想ですが、症例の少ない疾患では専門の知識のある意思が小児科にしかいなかったりするので、このような形になります。

このような環境なので、幼くして亡くなる患者さんや、先天性の難病と50代まで付き合っている患者さんや、その方たちのご家族とも関わっていました。

20代前半にして、子どもが何事もなく生まれて育つということは当たり前ではないこと、何の罪もないのに苦しむ事ばかり経験して最期を迎える子ども達がいる、という価値観を痛いほど知ったのでした。

小児科を離れて不妊治療開始

小児科病棟では入院期間が2年以上だったり、再発を繰り返して10年以上出入りしている患者さんもいました。看護師は、患者さんと関わる時間が長いので、患者さんやその後家族とも打ち解けた関係になっていきます。

とはいえ、看護師と患者さんの間では一線引く必要があります。それを大人は理解出来ても、子どもは理解できません。その距離感が1番難しいのは思春期の世代の子ども達です。

6年間の勤務で自身も看護師として成長していく中で、患者さんとの距離感に悩んだり、常に人手不足の環境に限界を感じたことから、結婚を機に転職しました。

転職後は、子どもと一切関係ない、どちらかと言えば高齢の方と関わる「保健師」の仕事に着きました。そして、この頃に不妊治療を始めることになりました。

関わる患者さんたちは重症でもなければ子どもでもない。さらに、非常勤勤務ではありましたが福利厚生も充実しており、心身ともに公私を分けられるので「不妊治療」も進めやすい環境でした。

再び小児科の世界へ

夫の転勤で転職せざるを得ない状況になりました。その時に経歴の中で目をつけられたのは「小児科経験」でした。

個人的に「今は小児科に関わりたくない」と思っていましたが、転職活動は思いのほか選り好みできる状況ではありませんでした。

そんなこんなで小児科クリニックでのパート看護師となった私は、また毎日「子ども」に関わるようになりました。

就職したのは乳児健診も対応しているクリニックであったため、子育てをしたことがない不妊治療中の私が、乳児を抱えたママたちの話を聞き、アドバイスをしていました。不思議な光景です。

ましてや子沢山の地域だったので、来るママたちはベテランさんばかり。当たり前に「もう4人目なので慣れましたー」なんて笑い飛ばす方々に対応しては、アドバイスするどころか、私は1人も産めてない…と落ち込む日々。

子どもは可愛いけど、子連れの家族は微笑ましいけど、時折深くエグられる私の心。

割り切れない気持ち

時には「妊娠中もタバコを辞められなかった」とか「予想外の妊娠だった」という方も受診されます。

お子さんは元気に育っているケースが多いですが、何年も不妊治療をしている私からしたらショックが大きい。

なぜ私には授かれなくて、あの人には何人も子どもが産まれてきてくれるのか。

考えても仕方が無いこと、考えてはいけないことが頭に浮かんでは自分を責めました。

それでも職場では「元気な看護師さん」を演じました。しかし、帰りの車では抑えきれず1人で涙を流したり、家では夫に八つ当たりしたり、段々とコントロールが効かなくなっていきました。

また小児科から離れて

体外受精6回目を控えた頃、他の理由も重なって小児科クリニックを退職しました。

最初のうちは、遂に専業主婦になってしまった…。という社会的な位置ばかり気になっていましたが、次第に心も体も楽になってきている事に気が付きました。

子どもを授かれないことと向き合っている私が、子どもや出産、育児などに関わる仕事をするのは思った以上にストレスだったようです。

学生時代から小児科専攻で、子どもと関わりたくて小児科看護師の道に進んだ私。

そんなに子どもが好きなら子どもと関われることは幸せなのでは?と思わるれかもしれませんが、不妊治療の期間によって、それ以上に授かれないストレスが見える景色を変えてしまっていたようです。

離れたからこそ前向きに捉えられる

もし、今もまだ小児科看護師として働いていたら。いまだに「元気な看護師さん」を演じながら心をエグられ続けていたかもしれません。

そこを離れたからこそ、小児科看護師としての経験は「子どもを持つことの人生観」や「子どもの病気や子育ての知識」を学べた貴重な経験だったと思えます。

ただ、やっと妊娠できた今も、ダークな考えを秘めながら子どもたちの対応をしていた罪悪感は記憶として残っています。

そして、もし産まれた子どもが病気を持っていて、あの頃病棟で関わっていた子たちみたいに苦しい日々を過ごすことになったら?など、リアルな知識があるため不安が尽きません。


不妊治療の期間には他のストレスを最小限に!

今、不妊治療を続けながら子どもに関わる仕事をしている方は、それ自体がストレスになっていないかを振り返ってみてください。

もし少しでも迷うところがあるのなら、軽やかにそのストレスを手放すことも選択のひとつだと思います。

私は「小児科看護師」としてのキャリアや、かつてからの「子どとと関わりたい!」という気持ちを捨てきれずに決断が遅れました。

私の体験が、少しでも今悩んでいる方の決断のヒントになれば幸いです。


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