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死にたかった私は、今とても人生が楽しい

大丈夫、人はいつか死ぬしいつか過去になる。
それがわたしがわたしにする励ましで労い。


わたしの家庭環境はクソです。
詳細は言わないけど、とてもクソ。
同じ環境の人がいるのかと、一度検索したことがあるが、「毒親」「虐待」の二言が出てきた。


まぁ、虐待だったのかもしれない。


そんな環境で育ったので、つい2、3年前、
自己肯定感という言葉をみんなが知っているようになる前、本当に心の底から死にたかった。
(数年前のnoteを見るとわかるかと思うが)


わたしがこうなったのは全部親のせいなんだ、と絶望した。
生まれてこなければ良かったんだ、と
なぜ産んでくれちゃったりしたのか、と
心がダメになった時、毎晩泣いた。
夜だけが続けばいいのに、と思った。


でもわたし今めちゃくちゃ人生楽しい!!!!!
できれば死にたくない!!!!!!!
(最低限推しをこの目に映すまでは)


自己肯定感を育てる根底には、家庭環境が大事だと記事で読んだことがある。
わたしはクソ環境で育ったが、なんとか自力で大きな花になった。


自己肯定感が元から高かったわけじゃない。
自分はダメなんだと思って仕方がないこともあったし、今もないわけじゃない。

でもそれでいいやって開き直れるのが自己肯定感に近いのかもしれない。

自己肯定感は自分を好きになることではなくて、
「ダメな時もいい時もそりゃありますよ、人間なんで。でもいいんです、これで。」っていうのが自己肯定感だと思ってる。

落ち込んでも温かいスープを啜れる、そういうの。


わたしは最近、筋トレを始めたんです。
最初は筋肉痛でアラサー間近の体にはこたえた。んもう、本当に痛いんだから。歩けねぇの。


めんどくさいし、すぐに結果は見えないし、これ意味ある?て思うし、他人からは見当違いなことを言われる。

でもとりあえず、20分だけやるかとダラダラ動き出す。
動き出すと、ずっとやっちゃうんだよ。


そうやって毎日の面倒くさいやりたくない動きたくないに勝ってると、まぁ他のことが全部どうでもよくなる。


たぶん、いわゆる成功体験に近い感覚だと思う。
このくらいやればできる、そういう自信がある。



世の中には、多様性とか承認欲求とか、いろんな批判や肯定、自分1人だけじゃ答えが出そうもないようなことばかりで溢れている。

ありふれたことなのかもしれないけど、
ダメで元々っていう気持ちが大事かもしれない。


わたしは前世とか神とか仏とか1ミリも信じてないので、冷たく聞こえるかもしれないが、どうせみんな人生一回目だし、どうせ死ぬ。

落ち込んでも、失敗しても、その日が悪かっただけで、別にわたしが悪いわけじゃない。



もっとわがままに、傲慢に、できるだけ思い通りに、かっこよく生きていきたい。


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