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エッセイ キャプテン

 
  【キャプテン】

        久保研二 著
                
 トーナメントのように必ず勝敗をつけねばならないサッカーの試合で、規定の試合時間を終了しても決着がつかなかった場合、通常PK戦が行われる。

 高校サッカーでは試合時間が若干短いが、普通は45分の前後半と、延長戦の前後半を加えた120分を戦ったあと、ひと呼吸おいてから双方5人ずつがゴールキーパーと1対1で対峙するのだ。

 キーパーは、相手が蹴るまではゴールラインのオンライン上から前に出てはならないとルールで定まっているので実質動けない。

 テレビや観客席からではわかりにくいが、実際にゴールの前に立ってみれば、ゴールというのはものすごく広く、キーパーの偉大さがすぐに理解出来る。そしてPKの時にボールを置くペナルティ・マークは、非常識なほど近い。

 ゴールは幅が7・32メートル。おまけに高さが2・44メートルもある。半端な数字なのは、すべてヤードで決められているからである。
 もしもズブの素人がキーパーをすれば、50歳を超えたうえに、何年もボールに触れていない今の私が蹴っても、10本中10本確実に決める自信があるし、受ける側もすぐに戦意を喪失する。

 同じように、当時の高校サッカーのゴールキーパーの体格と技術だと、プロの世界とは大きく異なり、キッカーがよほどのミスキックをせぬ限りPKはほぼ確実に決まった。失敗するケースは、枠をはずした時とキーパーの正面にボールが飛んだときくらいである。 

 キーパーの実力で止めることはほとんどないから、キーパーにしてみれば"止めればラッキー"という気運があり、PK戦におけるキーパーは比較的責任が軽い。重複するが、これはあくまで高校サッカーまでの話である。

 逆にキッカーには"決めてあたりまえ"という強烈なプレッシャーが襲いかかる。
 このプレッシャーが最大の敵であるのはいうまでもない。
 スポーツは往々にしてメンタル的要素が大きいのである。

 しかし実は、敵はプレッシャーだけではないのだ。

 120分間走り続けた後、PK戦が始まるまでの数分のあいだ中途半端に体を休めて、無自覚なまま全身が冷えているために、特に足の筋肉に疲労(乳酸)が蓄積している。罠はそこにある。

 緊張感がより高ぶっていてアドレナリンが出ているのか、自らの身体コントロールの誤差を冷静に自覚出来ないのだ。だからPK戦は、テクニックの優れた選手ほど失敗しやすい傾向にあるとも言われる。
 なぜなら、そういう選手は自分のテクニックに自信があるため、普段と同じようにギリギリのコースを狙おうとするからである。

 逆に繊細なボールテクニックがさほど必須でない、どちらかと言えば守りの選手は、安全策をとる傾向が強いので、誤差はさほど悪影響をおよぼさない。
 この点では何億円も稼ぐプロのスター選手でも事情はさほど変わらないらしい。

 試合が近付くと、どのチームもPK戦を想定して本番さながらの練習を行う。 
 自分なりにどのコースに蹴るのかをあらかじめ決めておき、何度もそこへ撃つ練習をする。
 
 右か、左か、転がすか、浮かすか。また、サイドキックで確実にコースを狙うか、少々コースがずれても甲を使って強いシュートで押し込むか……個々のプレースタイルによって人様々だが、自分の最も自信があるスタイルを選ぶのは人情であり得策でもある。

 私が高校2年生の時の3年生のキャプテンは、高校生離れした実に恐ろしい存在だった。
 その恐怖の理由は、昨今流行のいじめや暴力などではなかった。それはサッカーにかける鬼のような魂の存在感に対してだった。

 無口で無表情、不必要なことは一切口にしない。強くなることに対して妥協がなく、チームにも厳しいがそれ以上に他の誰よりも自分に厳しい。

 キャプテンは家で、熱帯夜でも足を冷やさぬようクーラーをつけず、しかもジャージをはいたまま寝るらしいという噂がたった。普通の人間ならありえないことだが、真偽のほどはわからない。

 身長は190センチ近くあり、痩せず太らずの筋肉質、太ももだけは丸太のようで、ウエストにあわせてスラックスを買えば太ももが全然はいらなかった。

 面長で堀が深く、ギョロリとした大きな眼光は、相手が誰であっても射抜いて沈黙させる仁王像のような迫力を持っていた。
 
 3年生の最後の大会を前にして、そのキャプテンが皆を集めて訓示した。

「PKは、絶対に決まる。練習さえしていれば、絶対にはずれない。はずしたあとでしかたがなかったとは言わさない。絶対に決めろ、決めるためにとことん練習をしろ、PKは一人でも練習できる。絶対にはずれないと思えるまで何百本でも蹴れ、万が一試合で外した奴はこの俺が許さない、それはそいつが練習を怠ったということだからだ」
 
 この訓示が、実はキャプテンが自らに対してもあえて厳しく言い聞かせていることなのだと意訳する者は誰も居なかった。そんな余裕は誰にもなく、ただただ「もしも自分がはずせばたいへんなことになる」という恐怖心だけがチームを支配したのだ。

 もちろんキャプテンは練習でも、試合中反則で得た場合でも、それまで我々が知る限り、PKは一度もはずさなかった。

 ほとんどステップをせず振り子のように右足をボールにくいこませると、ボールはものすごい勢いでゴール右のサイドネットに吸い込まれた。
 
 ほぼ毎回同じ軌道、同じコース、同じ高さ……その抜群の確実性は明らかに超高校クラスの技であり、まさに精密機械を思わせた。

 そして県大会の予選が始まり、何回か勝利して勝ち上がったあと、強豪相手についにPK戦にもつれこんだ。

 3年生には後がない。
 2年生の私はその日一応サブメンバーで登録されていたが、結局最後まで出番がなかった。

 その時は心の底からそれを幸運だと思った。もしもPKが自分の番にまで回ってきて、自分のせいで3年生の夢を砕けば、先輩にいくら謝っても謝りきれない。

 緊張するPK戦だが、その中でも最初に蹴る者が最も緊張する。
 その誰もが嫌がる仕事を、あたりまえのようにキャプテンが担った。

 丁寧に両手でボールをペナルティー・マークの上に置き、数歩下がって制止する。レフェリーが強く短く笛を吹く。それを合図に、今まで何度も見て、目に焼き付いていたフォームで右足が振り下ろされ、強烈なシュートが放たれた。

 "パーン!"という激しい音とともに、ボールはポストで跳ね返り、同時に相手ベンチからどっと歓声があがった。信じられない光景だった。とっさに、ゴールが正規のサイズより10 センチほど狭いのではないかと疑ったほどである。

 それでも私たちベンチで見守る者は、まだ余裕があった。絶対的なキャプテンがはずしたのだから、あとの者は必ずリラックスするだろうと思ったからだ。

 実際「これであとが楽になった」と、すぐそばに座っていたコーチでさえ逆に笑顔がこぼれた。5人居れば相手も一人や二人は必ず枠をはずすものなのである。

 ベンチの予想どおり、キャプテンが外してくれたおかげで最大の緊張がとけたのか、後続の味方選手は全員練習どおり、なんなく成功した。
 が、しかし、相手もなぜか4人全員が決めたのである。

 そしていよいよ最後の一人がボールをセットした。この選手が決めれば我々の負けが決まり、もしもはずせば"サドンデス"で6人目が蹴ることになる。

 ものすごいプレッシャーの中、相手選手は完全なミスキックをした。
 ボールはゴールキーパーの正面に力なく転がった。
「やった!」と思った。

 けれども、最後に一か八かのヤマをかけたキーパーはなぜかその時だけ、右に飛んでいたのだった。ミスキックしたボールが、リアルなスローモーションでゴールの真ん中に転がって行った。
 
 3年間、最も真剣に取り組み、ストイックにチームを引っ張ってきたキャプテンのミスで、3年生の高校サッカーは終わった。

 勝利の女神ならぬ敗北の悪魔は最悪のエンディングを用意していたのだ。

 男の中の男があそこまで厳しくチームに宣言したあとで、自分の気持ちをどう整理して、どこに落ちつかせるのか。

 その悲惨さを思えばとてもじゃないがキャプテンの顔を直に見ることができず、誰もがうつむき、無言のまま帰途についた。

 PK戦のPKは、ペナルティー・キックのことである。
 本来は自陣のゴール近くでとられた反則に対する、ほとんど確実に1点を相手に献上する究極の罰であり、PK戦はその様式だけを流用しているにすぎない。

 しかし、はずしたキャプテンにかくも過酷な精神的罰則が下されたのだから、PK戦という名は意外と正しいのだと、私はこの時初めて悟った。
 
 そのキャプテンが、卒業アルバムに残したコメントがある。

「一生懸命やればやるほど、練習すればするほど、終わった時は、あっけないものなのですね」
 
 今この歳でふりかえっても、かつてのひとりの高校3年生が、とてつもなく、偉大で大きい。  

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