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評論 音楽とお金

 私が、一貫してずっと、ラジオや講演とかで最も声を大にして言っているのが、

「金銭至上主義からの脱却」です。

 お金や資本主義を、すべて批判して敵にまわすのではなく、お金の便利な部分と危険な部分をしっかり見定め、それと次元が異なる人間の精神に直結する価値観や倫理観を、個人も社会も、きっちりと確認しつつ、みんなで大切にしよう……ということです。

 音楽の感動などは、その典型です。
 お金に換算する必要はまったくないし、できもしません。

 いい音楽を演奏するから、高いチケット代をとって当然……というのも、ちょっと、おかしいのではないかと……。そう思うこともあります。

 経済はたしかに、需要と供給のバランスによって、その落差がエネルギー化して、発電機のように回る一面があります。

 でも、創作物やパフォーマンスが、そこで大きな金銭的エネルギー装置に組み込まれる必要が、ほんとにあるのでしょうか?

 クリエイター……アーティストが、純粋に、この世で自分が一番好きなことを、日々の生業にして生きていく……のは、実に素晴らしいことです。

 それで、餓死せずに、生きていければいい……(これはスナフキンも言ってました)……。本来は、そうだと思います。

 そこで、特殊技能保持者だからといって、莫大な経済的成功を求めて、ほんとにそれでいいのでしょうか? それは、音楽業界すべてを敵に回す危険な思想かもしれません。

 お金というのは、非常に難しいもので、よく賄賂を渡すときに、邪魔になるものではない……などと言いますが、私は過去に、お金さえこんなに持っていなければ、もっと幸せだったのに……という人を、たくさん見てきました。

 アーティストは儲けたら、その後の作品が濁って腐るケースがほとんどです。

 売れる前のがむしゃらな才能が満載の、処女作、ファーストアルバムを、後年なかなか超えることが出来ないのは、ありがちな現象です。

 ボクサーも同じで、ハングリー精神が必須だと言われた時代が長くありました。たしかに、世界チャンピオンになってからの防衛が、むしろ難しいのでしょう。今は必ずしも、そうではないかもしれませんが。

 もちろん、お金さえもう少しあれば……という人も、私を含め、当たり前のように、無数に居ます。

 原点を、忘れたらあきません。

 お金を「受け取る受け取らない」にかかわらず、私は歌を書くし、音を奏でるはずなのです。

 人が喜び、自分が喜ぶ。
 創作の苦しみも、大切な快楽です。

 人は、自らを表現できている時、最高の幸福感を味わいます。

 生きた人生は悲壮なものだったかもしれませんが、画家としてのゴッホは、おそらく、最も幸せなアーティストのひとりだったと、私は思います。

 フォスターも、そうです。中也もみすゞもそうかな……

 ちなみに、写真は、生前に売れたといわれる、唯一の、ゴッホの絵です。

 ゴッホは画家として、生涯に、わずか1枚しか売れる絵を描かなかった……というか、生きてるうちに、1枚しか売れなかったのです。

 とてもじゃないが、プロの画家……絵を生業にしているとはいえません。

「赤いぶどう畑」と題されたこの作品。

 1890年当時の400フラン。今のおよそ11万円だったそうです。

 実は昨年私は、純粋な原稿執筆料として、出版関連会社から20万円をもらいました。

 仮に明日死んでも、ゴッホより、少しだけマシな人生だったと言える……かもしれません。

 最後に、お金で本当の幸せは買えません。

 けれども、お金は、自分も含め、他者の不幸の多くを癒すことが出来ます。

 自分の場合は、不幸を癒せば、次に新たな欲望が生まれ、負のスパイラルに巻き込まれる可能性が高まるのが、典型的なパターンですが、
他者の救済に使う場合は、そんな心配はありません。

 ただし、先に述べたように、お金は非常に難しいので、あげればよい、というものでもないのです。それがかえってさらなる不幸を招く場合もあります。

 とにかく、私のような考え方の人間を、お金が避けて行く現世では、きっと、お金の正体は邪悪であるに違いありません。

 そうとでも考えないと、私は生きていけないのですから。  了

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