見出し画像

未来人の日本史

📖 戦国時代は江戸時代と違い、家臣にも主君を選ぶという「去留の自由」があったそうです。
 出奔や寝返りは珍しいことではなく、主君を見切れば家臣はすぐに新しい主君を探し仕官したといいます。

 おそらくそれこそが戦国時代という時代名の"味の素"になっているのだと私は思います。すなわち、主君レベルでも家臣レベルでも"下克上"があり得たのです。

さて、うっとこ(我が国)だけに限らず、ほとんどの国家が持っている歴史は、国内であれ国外であれ、はっきり言って権力を得るための殺し合いの歴史といえます。
 武将であれヤクザであれ軍人であれ政治家であれ、本質的には同じです。

 共産主義が権力をトップにかかげるかわりに、資本主義はお金を頂点にかざしました。結果、資本主義はお金をむしりとりますが、共産主義は権力闘争のために大量の自国民を粛正しました。粛正とは殺すということです。
 たぶん習近平も同じです。習近平も大意としては、スターリン、毛沢東、ポルポトらと同類でしょう。ヒトラーは微妙に異なるわけです。

 我々はあたりまえのように自由主義国家、すなわち資本主義国家組に属しています。学校ではなぜか民主主義を学び、国会もそういうことになっています。

 戦国時代は、ひとつの戦(いくさ)で数千人〜数万人が死にました。雑兵だけではありません。名だたる武将も同じように討ち死にしました。かなり平等です。

 さて、私はいったい何を言いたいのか? 自分でもわからんようになってきたぞ……そうそう……

 
 未来人が私に言いました。
 彼らが語る日本の歴史では、令和の時代は江戸時代と違い、サラリーマンにも会社を選ぶという「去留の自由」があったそうです。

 退職や不正に対する告発や訴訟などは珍しいことではなく、組織を見切れば誰でもすぐに新しい組織を探し、トラバーユした。……と、未来人は学校で学んだというのです。

「そら、ちゃうやろ?」と、私は未来から来た人に言いましたが、困ったことに、なかなかうまく真相を説明できないのであります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?