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評論 天国とは?

 虚実が入り混じっていることを読み込んだ上で、多くの臨死体験の報告が存在する。

 そこから、なんとなく見えてくる天国の実情は、たとえばこんな感じである。

① 朝のようにまぶしいが優しい光。
② 美しい景色。
③ 綺麗な小川。
④ 川のせせらぎ。
⑤ 小鳥のさえずり。
⑥ 野に咲く花。
⑦ 蝶やカエルや小動物の声と共存。
⑧ 車の騒音なし。
⑨ 隣人の騒音なし。
⑩ 生活感なし。

さらに、

 亡くなった人との再会
 笑顔の語らい

 また、

 体調不良の消滅
 老化のリセット
 眼鏡がなくてもよく見える。
 マスクも不要。等々

 さて、よ〜く考えてみよう。

 私は、50歳を超えたあたりから、ずっと天国の先取りだけを考えて生きて来たのだ。

 そして、上記の①〜⑩までは、萩の山間部や、地方都市のはずれに住むことによって、すでに実現させて来たのだ。

 ようやくここまでこぎつけた、という思いが強い。

 可能な限り、資本主義や民主主義や国家システムから距離をあけ、最も高価な玩具である、脳みそで遊びまくって来た。

 あとは、命をつなぐための、多少のお金のキープだけだったが、やはり、運命はいろんな手を使って邪魔をしてくる。

 私も、夏には60を迎える。

 ここからは、神と私の、根気くらべである。
 あくまで人生は"ゲーム"だから、サッカーの日韓戦のようになっては本末転倒である。

 どちらが先に、笑って負けを認めるか?


 長嶋茂雄の名言…迷言がある。

「勝負は、家に帰って、風呂に入るまでわからない」。

 そうだ。

 とにかく、今から、朝風呂にはいろう。
 湯船には、マグネシウムを入れてある。

 風呂からあがれば、その残り湯で洗濯機をまわせば、洗剤は要らない。汚れも匂いも、アルカリ成分が綺麗に落としてくれるし、芳香剤の化学的なニオイとも無縁である。

 それでもゴミが出る。昨日、魚をさばいた。

 生ゴミをゴミ捨て場に出しに行った"あぜ道"の帰途。

 我が家を見上げて、やっぱり天国だと実感した。

 ただ、どうしてもわからないことがある。

 それは、現在、それなりの現金を持っている人が、なぜ私の真似をしないのか?

 きっとその理由は、"神のみぞ知る"のであろう。

 さらに、その神は、すべての人の中に宿っているのだから、ややこしいが、もったいない。    

 ※ 手前の建物は、私が勝手につけた名称、ホワイトハウス。 ちなみに、ワンルームだが、前に見た時は、家賃が、12,000円だった。

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