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評論 川島 芳子

 男装をした麗人。 川島 芳子(かわしま よしこ)という人がいました。

 日中の歴史では、非常に有名かつ、重要な人物です。

 本名、愛新覺羅顯㺭(あいしんかくら けんし)、

 清朝の皇族粛親王の第十四王女でした。

 1932年3月に、関東軍が、ラストエンペラー 溥儀を、執政として満洲国を樹立させると、川島芳子は新京に置かれた宮廷での女官長に任命されます。

 同年に、芳子をモデルにした小説『男装の麗人』が発表され、彼女は「日本軍に協力する清朝王女」として人々の注目を浴びるようになったのでした。

 日中の歴史に翻弄され、祖国中国を売ったスパイ、売国奴として……。

 そして戦後間もなく、中華民国政府によって漢奸として逮捕され、銃殺刑に処せられました。
 もちろん今の中共の教育でも、そう教えています。

 けれども、処刑直後からさまざまな不審点が指摘され、替え玉による、生存説が流れ出しました。

 近年の科学的調査で、公開された遺体は川島芳子ではなかったという可能性が高まりました。

 これは、現存する写真から骨格を割り出して比較するという、犯罪捜査に使う技術で判明したことです。 

 処刑された女性の写真と川島芳子が同一人物である確立は、10パーセント未満だというのが、判定結果でした。

 中共はかたくなに、川島芳子本人が法に基づき、適切に銃殺刑に処されたと譲らず、民間の調査にも圧力をかけて邪魔をします。

 さすがに心が狭い大国です。
 人間としての美しさや潔さが、まったくありません。

 当時は、中共ではなく、国民党政権下だったので、意地を張る必要はないと思うのですが……。

 莫大な賄賂が、愛新覚羅家から役人に支払われたという説が強いのですが、今にあてはめても、こっちの方がはるかに真実味があるということを、中共は大いに反省すべきでしょう。

 彼女が残した言葉です。

「日本人たる前に、亜細亜(アジア)人であらねば成らぬ」

 もっともだと、思います。

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