大人の寺子屋 世界史 ナショナリズム
歴史要介護3 の人のための、
【世界史のお勉強 シリーズ】
(※ 元ネタは昔のドキュメンタリー番組)
今回は、第二次大戦につながる、ナショナリズム高騰のプロセスです。
まず最初は、こういうところから始まります。よく覚えておきましょう。
1929年10月、アメリカ ニューヨーク、ウォール街の株価が大暴落しました。
企業が相次いで倒産します。次に銀行が閉鎖に追い込まれました。
世界経済の中心地であるニューヨークで起こったこの経済大恐慌は、あっちゅう間に、コロナのように世界中に広がり、大不況は、世界の至るところに感染しました。
いつ収束するのか? 先行きが見えないまま、うちひしがれた人々の不安を背景に、各国で登場したのが、"強力な指導者"たちでした。
同時発生的に、いろんな地域で、《ナショナリズム》が津波のように、水面を持ち上げ始めました。
そんな中、1932年、ついにワシントンでは、第一次大戦を戦った退役軍人たちが、デモを起こしました。
生活に喘ぐ彼らの言いぶんは、こうです。
1945年に支払われることになっている恩給を、先払いしてくれ!
退役軍人たちが、米国全土から、続々とワシントンに集まりました。
彼らは皆、家を手放し、当然仕事もなく、家族を引き連れて、ワシントンの中心部にバラックを作って生活を始めました。その数なんと2万人。
これに対して、アメリカ政府は、なんと、『 戦車をくりだしたのです。
天安門事件のはるか前の出来事です。
これを指揮したのは、当時の陸軍参謀総長、ダグラス•マッカーサーでした。
マッカーサーは後に、
「退役軍人らは、みんな、共産主義の奴らに扇動された反社会的革命集団やと判断した。そやからワシは弾圧したんや」と、語っています。
この頃アメリカでは、1千万人を超す失業者があふれ、いつ革命をおこそうか? と、そのタイミングが公然と話題になるような状況でした。
「いつやめてくれるんやろ?」と、あべちゃんの動向やさらなる失態を期待している我々とは、大違いのエネルギーでした。
資本主義大国が、大恐慌によって混乱し、えらいことになって、国民全体が苦しむ中、スターリン率いるソ連は、「そら見たことか」と、共産主義の勝利を宣言しました。
そして、共産主義国家なら、こんなけ景気がええんだと、経済発展を見せつけるプロパガンダ映像を、量産しました。
例えば、
首都モスクワの地下鉄建設を記録した映像。
宮殿のように豪華な駅でした。
そこには、世界一長いエスカレーターがあり、スターリンはソ連の威信を、内外に自慢しまくったのです。
モスクワ駅の建設工事は、1934年の革命記念日に間に合わせるように、超突貫工事で行われました。
この工事の監督を指揮していたのが、後のソ連共産党第1書記で首相も兼任した、フルシチョフでした。名前、聞いたことあるでしょ?
この地下鉄建設の、めちゃくちゃハードなノルマを達成したことで、フルシチョフはスターリンから、ものすご高い評価を受けることになります。
アメリカが撮影した大恐慌の記録フイルムを使って、ソ連が編集した、プロパンガンダ映像が残っています。
それを見れば、ソ連が資本主義国家であるアメリカを、当時どのように見ていたかが、よ〜くわかります。
ちょっとナレーションを紹介します。
「アメリカの、この失業者たちが、世界一の橋、車、高いビルを作ったんです。
そやけど、このビルの40階に人がおります。
いったい彼は何を企んでいるのでしょうか?
答えは自殺です。
何のために…こんな夢も希望もない失業者に、高層ビルが必要だったんでしょうか?」
大恐慌の影響を受けずに経済発展を遂げていたソ連を、数多くの知識人が訪れました。
たとえば、イギリスの作家、バーナード•ショーです。
彼は1931年にソ連を訪れました。
大恐慌によって危機に瀕した資本主義世界を目の当たりにしたバーナード•ショーには、この時のソ連の姿が、希望に満ちた国家に見えたようです。
「資本主義国家が、崩壊してしまうことをまぬがれたければ、ソ連の方法を取り入れるべきである。以前私がそう警告した事は正しかった。ソ連では希望こそ思想の中心である。階級がなく、淑女や紳士がおらず、誰もが友人であると言う国にいるという事…それは稀に見る清々しい経験だった。明日私はこの希望の土地を去り、我々の絶望の国へ帰るのだ」 ( バーナード•ショー インタビューより)
けれども、彼が知らないもう一つ重大な真実がありました。
同じ時期に行われていた、ソ連国内での強制労働です。
ソ連が世界に誇る経済発展の裏には、反体制ともくされた人々が、強制労働をさせられたり、大量に処刑されたりした事実がかくされていたのです。
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