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人間とは何か?

 私が生まれた時には、父は27歳でした。
 私がいろんな書物をむさぼり読んでいた20歳の頃、今そばにいる、JAZZドラマーは、この世に存在していませんでした。

 あたり前のことなのかもしれませんが、あらためて考えると、これはスゴイことです。

 いったいそれまでは、どこで何をしていたのでしょうか?

 そんなことばかりを、実は幼児期から現在に至るまで、ずっと考え続けてきました。馬鹿みたいにずっと……。
 途中あやしい宗教やオカルトの落とし穴の、そのフチにも近づき、恐る恐るそっとのぞいたこともあります。もちろん冷静さを決して失わないように最新の注意をしながら。

 ずっと同じテーマを引きずりながら、私のカラダは20世紀後半から21世紀初頭にまで突入しました。

 同じ視点……つまり、定点観測……まあこの定点観測ほどあやしいものはないのですが……定点というのはあくまで私の視点であり、それは歳月と共に細胞分裂を繰り返して変化し続けていて、さらに万が一変化しない観測機で監視していても地球は自転と公転を続けているわけですから、いったい定点なんてあり得るのか?

 でも、まあいわゆる定点観測なりきものを続けているうちに、重要なヒントがこの人間界に現れてきました。
 それはまさしく人類の進化と創造の軌跡。

 コンピュータ工学とインターネットです。

 人間のカラダは実はアイフォーンなのです。
 私の古いアイフォーンは、ボタンがとれて使えなくなり、新しいのに買い替えました。
 私の右眼のレンズも、数年前に山大病院で、新品に交換しました。

 アイフォーンの中にあったけど消えてしまったデータも多々ありますが、基本的な魂は引き継いでいます。

 なぜか?

 記憶は端末機だけでなく、見たことはないけど巨大なサーバーにすべて記録されているのです。
 グーグルの巨大サーバーより、もっと大きいんですぜ。
 バックアップと考えると見誤ります。
 サーバーの記録こそが、本当の記録なのです。

 サーバーは、人類すべての記憶を保存します。

 端末……アイフォーンは、記憶を採取して一時保存するために存在するのです。

 人間とは何か? 突き詰めると、人間とは記憶なのです。

 そして人類とは何か? 突き詰めると、記憶を集めた記録なのです。

 私というアイフォーンは、最近どうも調子が悪い。交換したはずの左眼のレンズがくもりがちで、写真や動画がとりにくい。
 しかも本体のケースも、腰のあたりがぐらついています。でも、ここからが正念場。

 記憶をいかに整理して、効率よく次の端末にデータを移すか……。

 残された人生。それがほぼすべてになります。

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