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2021年元旦

 皆さま、明けましておめでとうございます。
 本年も懲りずにお付き合い願います。

 さて、私がハッキリと記憶している、祖母の晴れ姿は、尼崎の杭瀬の家で行った餅つきです。
 あらゆる段取りを、祖母は1人でハツラツと仕切り、炊き上がった餅米を臼に移し、杵をつく合間のタイミングで、素早くリズミカルに手で水を加えていました。

 そしてつきあがれば、すぐに器用に丸めていきます。まあ…さすが年の功。見事な手さばきでした。
 私が小学低学年の頃ですから、おそらく祖母は70前後だったはずです。

 それから10年ほどして、祖母は……いわゆる当時の老人ボケが始まりました。

 晩年は孫の私に、「治司」と、父の名で呼びかけるまでになりました。

 今から思えば、アルツハイマーだったのでしょうね。

 その頃には、孫の私の存在の記憶が、過去にさかのぼりながら消えていったのでしょう……ということは、私が2歳の時の祖父の死も、もしかしたら、祖母は忘れていたかもしれません。

 祖母が、私の祖父……つまり祖母の夫を探していたという話は、同居していたオジオバからも聞いたことがありませんでしたが、いずれにせよ、想像すると、悲しいですね。人も記憶も歴史も……。

 結局、息子の治司も、晩年は同じアルツハイマーを患いましたが、祖母ほどはつらい思いをしなかったはずだと、私は信じています。治司の場合は、脳の萎縮の進行が深刻化するまでに寿命が来ましたからね。祖母よりも7歳若くして……。

 去年の大晦日には、治司が最後までお世話になった老人ホーム、長門の「結の恵」に、行ってきました。墓参りのついででした。

 そして「結の恵」で、来月末に、童謡・唱歌を中心とした慰問ライブをやることになりました。
 でも、コロナで今年は、それすらできません。

 それでも、亡き父、治司が生きていた時のイメージが残っていて手が届きそうな場所や空気やつながりを、出来る限り大切にしたいと思っています。

 それがたぶん、生きるということでしょう。

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