エッセイ 水筒を買う
この歳になって水筒を買ってしまった。
出先で自家製の「ヨモギ生姜湯」が飲みたいからである。
お昼過ぎに何となく、欲しいなあと思いながらインターネットの画面を見ていると、
「あと25分以内に注文すれば本日中にお届けします」と驚くべき表示が現れた。
私が棲む場所は、口が裂けても腐っても都会とは言えない。山口と萩の中間地点の山間部で携帯電話の電波もわざわざ迂回して通るほどである。
よってヨソの家ならともかく、ウチに来るのは早くて明日の午前中だろうと決めつけたまま、それでも心のどこかにかすかな期待を残した状態で、注文確定ボタンを押したのである。
あとで熱が冷めて我にかえれば、別に到着が明日でも明後日でも、こちらはまったく困らないことにあたりまえのように気付いた。
そういう気まぐれな意識の保温状態であるから、ひとたびソファーに沈んだら、とたんに水筒を注文したことさえきれいさっぱり忘れてしまい、そのまま読書に没頭したのであった。
ついでにこの季節の戸外は、性急に暗くなる。
夜更けというのは、午後11時から翌1時頃をさすらしいが、今の私の生活では夜の8時半は、すっかり夜更けである。
その夜更けに、表に車が停まり、スライドドアを開く音がして足音が近づいて来た。
まさしく宅配便が来たのである。
「えらい遅い時間まで、配達してるんやねえ」
「どうしても今日中にと、無理をねじ込む大手の荷主からの依頼が、最近やたらと増えたんですよ」
私は「明日でもよかったのに」ということばを慌てて呑み込んだ。
せっかく律儀に配達してくれたお兄ちゃんをがっかりさせると案じたからである。勝手口で三文判を押して商品を受け取り、
「でも、今日中に届いて助かったよ。ありがとね、気いつけて運転しいや」
そう暖かく見送ったあと、一人になってしばらく呆然と立ちすくんだ。
本当に本日中に届いたので、まるで夢でも見ているような奇妙な気分になり、つくづく恐ろしい時代になったものだとあらためて実感したのだった。
部屋に戻っても、なぜか箱を持ったままで呆然と椅子に腰掛けた。
するとさっきまで忘れていたくせに、みるみるうちに指先から伝搬したエネルギーで心が弾みだした。
しばしその軽率さをめがけて自己嫌悪が突進しかけたが、今日のところは特別にそんな自分を素直に受け入れ、今の喜びにとことん浸る方向に腹を向けた。
手にしていたものをテーブルの上にそっと置いた。
それから段ボールの目印がついた端の部分をつまみ、コンビーフの缶のようにめくって開封すると、思っていたとおりの色と大きさの水筒が現れた。
実は注文ボタンを押すさい、もしも届いた現物が気に入らなければその時は弟子にあげればいいという、無駄遣いの言い訳をこっそり保険にしていたので、弟子が絶対に欲しいと言うに違いない暖色系のデザインを選んだのだった。
手にとってさすり、目の高さまで持ち上げてしげしげと眺める。
とにかく、手触りといい、色あいといい、大きさといい、無性に可愛くてしかたがないから世の中不思議だ。
私が小学校の低学年の頃に学校で流行った水筒は魔法瓶式で、中身が冷めないタータンチェックの鮮烈な柄だった。
もともとこの商品のオリジナルは、今からおよそ1世紀も前の1908年、シカゴで、風雨にさらされても消えない魔法のランプを売り出した由緒ある会社が創ったもので、ランプに続いて開発したのが、魔法瓶であった。
会社の名称はアラジン。魔法のランプに直結する。
けれどもその当時はまだ一ドルが、360円の時代だったので、私が見た水筒がオリジナルであったとは到底思えないのだが、とにもかくにもその水筒は、乱暴に扱えばすぐに中の鏡のようなガラスが割れた。
うっかり落としてしまったあと「しまった」と思って拾い上げると、中でガシャガシャと氷のような音がする。
その音の悲しさと情けなさは子供にとっての最高水準であり、その場面を思い出すだけで今でも泣きそうになる。
小学校の高学年になると、好みが一変し、キャンプで使用するような鉄製の水筒を愛用した。
保温効果はないが、見た目よりも実際の容量が多く、本体は黒く焼き付け塗装されてあり、紐がついたカーキ色の布のカバーに覆われていた。
腰に下げた時のためかどうかはわからないが、飯盒のようにくびれがあるので軍隊の装備を思わせ、それがまたシンプルで大人っぽく、実に誇らしかった。
麦茶や珈琲をいれた水筒を、カバーを脱がせて冷凍庫でカチンコチンに凍らせ、夏休みの部活に持参した。
練習が終わりに近づくと、朦朧とした中で水筒の形がこめかみの上あたりに映しだされる。
もう少しで飲める。
あと少しで天国が待っている……。
今から考えるとあの頃の部活は、技術を磨くことよりも、ただひたすらに喉の乾きと闘っていただけだったように思える。
鉄の水筒は、本体自身が物理的に容易に壊れる構造ではなかったこともあり、たしか高校にあがる頃まで使っていたように思う。
けれども今は実家にさえも確実に存在しない。
いつどのように紛失、または廃棄したのかは、まったくもってわからない。
そのような昔愛着した品を思い出すたびに、無数の取り返しがつかないことをしてきた自分の愚かさに押しつぶされそうになる。
私は、断捨離と言う言葉が大嫌いなのだ。
さて、これから肝心なのは水筒の中身である。
家のまわりでヨモギを摘む。
ヨモギは古来より万能の薬草として知られているが、本来の優れた効果を発揮するのは、春から初夏にかけての血気盛んな新芽であるという。
しかしそれまで私が待てるはずがない。
とにかく、現状でなるべく明るい色の葉を選んでカゴに入れ、きれいに水で洗ってから網の袋に詰めて数日気長に干し、次にストーブの上に置いたステンレスのバットの上で、葉を手でもんで、茎を選り分けながら煎る。
そうして出来たヨモギ茶を、擂りおろした生姜と一緒に鍋で煎じて、最後は黒砂糖で好みの甘さをつければ、冒頭に述べた「自家製ヨモギ生姜湯」の完成である。
何度も中を洗った可愛い水筒から、水筒を温めるために入れておいた熱湯を捨て、ついに、茶こしでこした「自家製ヨモギ生姜湯」を注いだ。
その水筒が食卓の上に凛として立っている。
椅子に腰掛けて、その水筒をニタニタと笑いながら見つめている私が居る。
今すぐに飲んでも値うちがない。
数時間後に「まだ熱い」と言いながら、ふうふう言って飲むのが一番心にも美味しいはずである。
けれどもこれがなかなか我慢できない。
数時間後、弟子が来て目ざとく食卓の上の水筒に気付いた。
しかしその時には中はすでに空っぽだった。
仕方がないので、新たにヨモギ茶を煎じて、一緒に飲んだ。
それから二人で仕事にとりかかった。
クリスマスコンサートのために、とある有名な英国の歌を日本語に訳詩するのである。
訳詩というのは、出来上がりだけを見れば「何だ? こんなもんか?」と思いがちだが、実はとても神経を使う作業なのである。
直訳では音符に乗り切れずに情緒が追いつかない。かといって、意訳に走ると原作を台無しにしてしまうからだ。
気心が知れた仲故に、気兼ねのない真剣勝負が続く。
同じ箇所を何度も繰り返し弟子に歌わせ、かどを落とし、最後は一番細 細かい、仕上げ砥石でやさしく磨いて仕上げていく。
途中少なからず沈黙が居座り、罵声が飛び、うなずき、拍手をし、お茶を飲み、ため息をつく。
それから……いったいどこでどう曲がって間違えて登って下ったのかが、今になって振り返ってもさっぱりわからないのだが、気付いた時には、あんなに可愛かった水筒が我家からこつ然と姿をくらませていた。
そしてその後やたらと、弟子の機嫌がよく、言動も暖かいのである。
定価は5千円もするのに、インターネットだと送料込で1,891円だった。
カード決済で再来月の4日に口座から引き落とされる。
水筒はすでに手元になくても、弟子の保温効果は抜群である。
近年稀に見る、いい買物となった。
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