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大人の童話 車庫夢譚

大人の童話シリーズ

【 車庫夢譚 】  久保研二 著 
 
 ローカル線の列車が終点駅に着いた時、車内にはたった一人しか乗客が残っていませんでした。その客は座席に崩れるようにして熟睡していました。
 
 見回りに来た車掌が、そっと抱き起こして穏やかに声をかけました。

「お客様、終点です。このあとこの列車は車庫にはいりますので……」

 なぜか客の目は涙で赤く腫れていました。きっと悲しい夢でも見ていたのでしょう。この仕事をしていると、特に遅い時間帯にはこういう人に遭遇することがよくあるのですが、その客からはお酒のニオイが少しもしなかったので、車掌は少し気が楽になりました。

 目を覚ました客はハンカチで涙をふきながら、寝込んでしまったことを詫び、それから「ありがとうございました」と礼を言ってホームに降り、その後、トボトボと肩を丸めて連絡通路にのぼる階段の方へ向かって行きました。

 その後ろ姿を見送ってから、車掌が運転士に合図を送りドアが閉まり、列車は再び動き始めて車庫へと吸い込まれていったのです。
 
 車庫の中には大勢の車輌が並んでいました。本来は色とりどりのはずなのですが、この時間はすでに照明がほとんど落とされているために、お互いの差がまるでわかりません。

 運転手も車掌も下車して、すっかり生臭い人間の気配がなくなり、ひっそりと静まった車庫に、ささやくような小さな声が響きました。

「起きておられますか?」

 それは隣に居た一番古い車輌でした。
「はい、起きていますよ」と、電車はこたえました。

「おつかれさまでした。最終列車だったのですよね」

「はい、そうです。でも都会と違って、終点に着いた時にはお客はたった一人っきりでしたよ」

「私は空気を汚すからという理由で早くからこっちへ来ましたが、混雑した都会よりも、のんびりしているこのあたりの路線の方がおそらく性に合っているのだと思います」

「あなたは、ディーゼルですよね」

「そうですよ、私はキハ40、ですから今私はあなたとは違う路線を走っています」

「私も電車仲間ではもう相当古いベテランなのですが、あなたほどではありません」

「私にもあなたのような年齢の時代があったのですよ。そりゃもう元気いっぱいで……でもね、その頃はぜんぜん気付かなかったのですけれどもね、私達が頑張れば頑張るほど、どんどん、さらに上の世代、つまり蒸気機関車さんが減っていったのですよ」

「その点に関しては、私もあなたにどう謝ればよいのやら」

「時代の流れですから仕方がないですよ、お互い様です。現にあなたも新型車両に大きな仕事はどんどん奪われていったのでしょう」

「そのとおりです。でも、私ももうこの歳にまでなれば、都会の満員電車は懲り懲りですよ、今の仕事でじゅうぶん満足をしています」

「満員電車か……懐かしいですね、何年前だったのか、遠すぎてもう思い出せません」

「ねえ、ディーゼルさん。私達はこうして終点に着いて仕事が終われば、車庫に入って、ゆっくり休んで、朝を待つじゃないですか」

「そうですね、時々翌日の出番がないこともありますけどね」

「でも、私たちが運んできた人間たちは、いったいプラットホームに降りて、駅を出たあと、どこに帰るのでしょうね」

「そりゃね、人間には人間の車庫のようなものがあるのですよ、もちろん本物ではなく、仮の車庫ですけどね」

「見たことはありますか?」

「線路からでも時々見えますよ、昼間は布団かなにかを干していたり、夜でも灯りがともっていますからすぐにそこが車庫だとわかります。朝になれば人間もその仮の車庫を出て駅に向かい、そして私達に乗り込むのです」

「なるほど、そういうことだったのですね」

「人間だって私達だって、そんなに違わないですよ。一生懸命働いて、若い頃は古い者を追いやって、それでやがて自分も古くなっていくのですから」

「なんだかせつないですね」

「私達はたくさんの人間をいろんなところへ運ぶでしょ、その人達のひとりひとりの顔を覚えているわけではありませんよね。けれども人間は誰でも、一日が終わると、それぞれの仮の車庫の近くにある《駅》に戻って来るのですよ。私達はその人間を一生懸命手助けしているのだと思いますよ」

「なるほど、そういうことなのかもしれませんね」

「人間は人間で、生まれてすぐに人生という線路を走りだして、そのうちにたくさんの人を自分という列車にのせるのです。そしてやがて、一人、二人と、途中の駅で降りたり、また新たに乗り込んできたり……」

「気が付きませんでした、そんなふうになっていたのですね、この世界ってやつは」

「そうです。それで誰にでもいつか必ず、最終列車の役割が回ってくるのですよ」

「ということは、その最終列車の人間が終着駅に着くと、私達と同じように、列車に残っていたお客は全部降ろされる、ということになるのでしょうね」

「そういうことになりますね」

「今日なんて、最後まで残っていた人を車掌が起こして、なんとかホームに出させましたからね」

「人間という列車が終着駅に着いたあと、客や荷物をすべて降ろしてから、その先どうなると思いますか?」

「やっぱり、車庫に入るのでしょうかね、私達みたいに」

「そうです。私達は毎日それを繰り返していますが、人間は長い旅を終えたあと、終着駅に着いてお客を降ろして、ひとりきりの世界に戻って、いつもとは違う私たちのような本物の車庫に入れば、もうそれでとりあえずはお役ごめんなのです」

「すると本物の車庫に入るのは一回きりですか」

「私達はもう慣れっこですけど、本物の車庫の中は暗いですよ、人間が今まですごしてきた仮の車庫とは大違いです。ですから最初は……本物の車庫に入るまでは、みんな怖がるのですよ。暗さに慣れていませんからね、私達のように……でもゆっくり休んで、思いきり眠って……次に目覚めた時は、また知らないうちにどこかの線路を走っているのです。新型の車輌に新しいお客を乗せて、颯爽と風を切って……」

「やっぱり、私達も人間も、そんなに大きな違いがないようですね」

「さっ、そろそろ寝ましょうか? またあした、たくさん走らなきゃ……」

                        おしまい
 

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