見出し画像

エッセイ 主治医問答

 そういえば、子供の頃から気温の変化に弱かった。

 中年の坂を転がり落ちてからは、季節の変わり目には必ずといっていいほど風邪をひく癖がついた。

 最近の地球は今までと比べて季節が急に変わるような気がしてならない。私にとってはまさしく受難の時代である。
 なかでも今年は最悪だった。

 猛暑から急に冷え込み、しばらくしてまた暑くなったと思えばスコンと落ちた。

 筋書きどおりに鼻が詰まって微熱が出たので、早めに医者に行った。

 薬を飲めば三日ほどでマシになったが、そのタイミングを見計らったかのように所用が勃発する。
 神戸を経由して東京まで行かねばならない。しかも今回はわけあってどうしても車の運転が強いられるのだ。
 
 まわりの者が自殺行為だとなじる。
 いったい何度同じ失敗を繰り返せば学習するのか?
 絶対にあとで体調を崩すのだから取りやめるべきだと忠告されるが、こちらにはこちらの事情がある。

 実はこの用事は今まで何回も先送りにしてきたため、今回ばかりはどうしても断れないのだ。
 
 神戸まで450キロ、飛ばせば5時間で着くが、なにぶんこの歳になると休憩が多い。
 それに時折シートを倒して眠るので、3時間ほど余分にかかってしまう。

 いったん神戸で相方と落ちあい、別の仕事をこなしてから深夜神戸を発つ。今度は約600キロの長旅、けれどもここからはいざとなったら運転をかわってもらえる安心感がある。
 
 東京に居たのはほんの一瞬。トンボ帰りで神戸に戻った。
無事に仕事を終えた安心感で、とりあえず神戸でヘドロのように眠ったが、罠はここにあった。

 朝方「寒い」と思ったら時すでに遅し、「ハクション」とまずは一発出た。

 アレルギーのくしゃみではない。もっと深いところから出ているのだと、喉の感触がさかんに主張している。

「これは、跳ねるなぁ」

 と思ったら案の定、37度の熱が出た。
帰りの行程は、まだ450キロ残っている。
 なんとか熱が上がりきる前に山口に戻りたい。

 その一念でまた神戸を夜発ち、下松までたどりついて息絶えた。
 
 サービスエリアで3時間討ち死に、帰宅した時はほんのり空が明るかった。

 布団をかぶって体温計をくわえる。
 お約束どおりに、なんのストレスもなく数値がスッとあがった。38度8分。末広がりだが全然うれしくない。

 結局9時になるのを待ちわびて病院に並んだ。それほど症状がせっぱづまっていたのである。

 苦しい時の医師頼み、今までこれほど主治医を恋しく思ったことはなかった。
 
「どんな感じかね、いつものように詳しく言うてみて」

 そう言われれば、気合いを入れてサービスするのが関西人の定めである。 

「いやもう、いったん元気になりよったんですよ、それで、よっしゃもう大丈夫、そやけどまたこじらせるのは怖いなあと、そう思いながらも無理して遠出をしたら、案の定このザマですわ。

 今度は、咳が出る出る。 
 こう、なんちゅうか、身体の芯の方、地球で言いますとマントルゆうんでっか、そのあたりから吹き出すような、とにかく深い咳が多発しだし、同時に鼻が帰省ラシュの東名高速並に詰まる詰まる。

 息ができんでしょ、クロールみたいに横を向いても、鼻が詰まってるとまるで息つぎができんのですよ、おまけに熱のせいか腰がこれまた、尋常でない痛さを表出しまして、とにかくもう昨夜は七転八倒、七転び八起き、7回裏で6対7で巨人に負けてる阪神、そんな生き地獄を味わいましたがな、もうさっぱりわやですわ」  

 いつものように、ひととおり私の能書きを洩さず聞き終えた心の広い真面目な主治医が、聴診器をあてながら、

「ぜえぜえいうとるねえ、どう? 肺炎だと思うかね?」と問う。 

「そらあ、私ではわかりませんがなそんなこと……けどまあ、この程度の熱と息苦しさやったら、ええとこ気管支炎くらいでしょうな、私の読みでは」

「そうかね、なら、それでいこうかね」

 そう言われるとものすごく不安になる。思わず、
「えっ? そんなええかげんな」と、抵抗を試みる。

「気になるんじゃったら、無駄だと思うけど、一応胸のレントゲンでも撮ろうかね」

 どうも調子が狂う。けれども自分の身体だけに、それなりにこだわる必要がある。

「血いなんかは、とらんでもええんですかねえ?」

 相手はあくまで冷静である。

「まあ、それも気になるんなら、どうせ炎症反応が出とるじゃろうけど、何なら気休めにそっちもやろうかね」

「まあ、せんせ(先生)が面倒くさなかったら、お願いしまっさ」

 愛想で言ったのに、真面目な主治医はまともに答える。

「ボクはええよ、採血はどうせ看護婦がやるし、レントゲンは、ボタンポンじゃからね」  
 
 結果、肺の写真は「綺麗なもんじゃ」という一言で用済みとなった。

 それでもここへ来て話しているうちに、なんだか別のところに気がいって、元の苦痛が何だったかすっかりわからなくなってしまった。
 もしかすれば、これこそ名医たる証しかもしれない。
 主治医というのはかくもありがたいものなのだった。

 立ち去ろうとする私に追い打ちをかけるように、極めて適切な声が刺さった。

「今日はおとなしくせんといけんよ、お風呂もはいっちゃいけんよ」。
 
 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?