エッセイ 小次郎とヤクルト
山間部の我家もようやく暖かくなってきた。
時おり田んぼの水面を風が撫でてユニークな絵を描くからつい、
「人の心も春めいて、なんとなくいい気持ち」
などと浪花節でもうなりたくなるが、いや待った、その台詞の寸前は、
「文久二年の三月の半ば、いずこも同じ花見時、桜の花は満開の、人の心も春めいて」であるから、明らかに今とは時期が異なる。この国の季節は実に繊細且つ多彩なのだ。
いずれにせよ「実に爽やかな五月晴れである」と、あらためてつぶやき直しながら、またもやまちがいに気付いた。
まずは五月晴れといっても、まだ今日は四月の末である。さらにもっと根本的なことをいえば、五月晴れというのは本来梅雨の合間にスカッと晴れることを言う。
そしてまちがいはそれだけにとどまらない。
「爽やか」というのは、れっきとした秋の季語なのだ。
知っているはずの自分でさえ日常でふと油断をすれば「爽やかな五月晴れ」などと口にするのだから、近頃のテレビのレポーターが間違えても当然だと、なんとなく緩く責任を世情に転嫁した。
とにかく今日はいい天気なのだ。
そのうえここに来てカメムシの侵入件数が一気に減少したので、思い切って縁側の戸を開け放つことにした。
人工的な空調を完全に必要としない日は年中通しても数えるほどしかない。
そういう意味でも今日は実に貴重な一日であるという現実をまずは肝に据えることにした。
それこそがこの世の楽園への最短距離であると、最近ようやく悟ったからである。
木々がざわめく、せせらぎが音を増す、鶯が歌い小鳥がさえずり時々カエルが笑う……人工的な音をまったく魂が欲しない時間が、止まったままで密かに流れる。
天国とはこういう場所なのだろうとつぶやいたその時、部屋の空気が鋭く裂かれて何かが視界をかすめた。
反射的に見上げた天井にまたもう一閃。
それらはものすごい運動神経で部屋のあちらこちらを旋回したあげくに床の間の掛け軸の上に揃って腰掛け、さかんにチチチチピピピピと私に話しかけてくる。
それは実に立派なツバメのカップルであった。どうやらこの場にしばらく滞在しても良いかと、私にたずねているらしい。
思いもしなかった珍客に私は有頂天になった。何か御馳走でもしてあげたいがツバメは昆虫だけを食べる鳥だと聞いている。しかも生きた虫でなければならないらしい。
普段は、トンボ、蛾、蝶、ハネアリ、アブ、ミツバチ、などを食べているというから相当なグルメである。
「食べ物は無理だから、水でも飲むかい?」優しくたずねると、首をかしげてから、二人でチチチチピピピピと、また相談を始めた。
そこに思わぬ方向から返事がやってきた。
「オマエ、いったい誰と話をしとるんや?」
それは四六時中アルツハイマーを持ち歩いている我が父親であった。
ツバメが部屋に遊びに来たことを教えると、父は飛び上がって喜んだ。
「そんなことが、実際にあるんやな」
「長いこと生きてきて、こんな体験が出来るとは夢にも思わんかった」
さらには、
「オマエに騙されて山口くんだりまでノコノコと連れてこられたけど、初めてええ目に出会った」とまで言った。
父にとってはそれほど、近くで見るツバメが珍しかったのであろう。
確かにツバメには他の小鳥とは明らかに異なる独特の気品が備わっている。そもそもスーツではなく、フォーマルな燕尾服を着ている。
そのうえ、他者が真似のできないスマートな身のこなしや知的な雰囲気が素晴らしい。
体の色も影響してか、ついイルカを想像してしまう。
そして何より、表情が実に爽やかである……いや、これは秋の季語だった……。
しばらく休憩したあと、ツバメはサッとその場を飛び去った。
あっという間に百メートルほど離れた向こう岸の丘の上まで行って、あたりを旋回し、そのあと私の顔の正面に向かって驚くべき速度で一直線に飛んで来た。
投手が投げる野球のボールの感覚で推測すると150キロほどは出ていたと思う。
あとで調べてみると、ツバメは最高時速200キロで飛ぶことができると書いてあったから、自分の感覚もまんざらではないと思った。
ツバメは私の眼前で危なげなく急旋回し、再び掛け軸に戻った。
その後も飽きずに延々と同じようなことを繰り返している。
おそらく巣を造る場所を物色しているに違いない。
この仲睦まじいツバメは、やがて可愛いヒナを育てるのであろう。
生命、家族、家庭、妻、子供……自分史の中央広場に屹立する複雑な思いの塊が、チチチピピピピという音とともに削られて、どんどん角がとれ、丸く小さく溶けていく。
そして、私は珍しく穏やかな声で父に問いかけた。
「ツバメといえば、何を思い出す」
父はニヤリと笑い、「燕返し」と答えたあと、さらに続けた。
「燕返しは、やっぱり佐々木小次郎やな、たしか岩国の浪人やったと聞いたことがあるで、岩国ゆうたら、広島か山口か、いったいどっちや?」
「岩国は、一応山口県やが、場所はほとんど広島やな、佐々木小次郎の出生は、岩国やという説もあるが、ほんまのところはようわからんらしいで」
「燕返しというのは、飛んでるツバメを斬り落とす技とちがうで」
「そらそうやろ」
「あれはな、ツバメがUターンするみたいに、一人を斬った刀を胴体の途中で引き返させて、また別の人間を斬るんや」
「それは違うと思う。燕返しというのは、上段から斬り降ろして、相手がひるんだところを、すかさず下から切り上げる技や、昔の鎧とかの防具は下からの攻撃に弱かったんや」
「そうやったかなぁ……まあええわ、なんせワシは若い頃、本ばっかり読んでたからな、良かったなぁ、最高やったなぁ、山岡荘八」
「山岡荘八は徳川家康や、どうせ言うなら吉川英治の宮本武蔵やろ」
「そうや、そうやった、吉川英治や」
「二年ほど前に巌流島に連れて行ったん、覚えてるか」
「巌流島……武蔵と小次郎が決闘した島か……それは知ってる、何となく覚えてる」
「行ったのは、忘れたんやろ?」
「忘れた」
「石碑の前で写真とったはずやから、また見つけたらその時の写真を見せるわ。そやけど、ほんまに見事に何でもきれいに忘れるなあ……」
「忘れる」
「それやったら、佐々木小次郎が持ってた刀は何と言う」
「知らん。忘れた」
「いや、知らんはずはない。よう考えてみ」
「さっぱりわからん。近藤勇は虎徹やけどなあ」
「洗濯物はどこに干す」
「そら、ベランダや」
「ベランダには、何がある」
「鉢植えがある」
「洗濯物は、何に干す」
「そらあ、洗濯バサミや」
「その洗濯バサミは、何にぶら下げる」
「物干棹や……そうや、佐々木小次郎の刀は物干竿と呼ばれたんや、あれはな、長いだけやないで、反りがない特別な刀なんや」
「ほら、ちゃんと知ってたやないか、それやのにすぐにそうして気前よう忘れるんや」
「そうや、ほんまによう忘れるで、次から次へと、すっからかんに何でも忘れる」
「ところで、うちのツバメに何か食わせようと思うんやが、何を与えたら喜ぶかねえ」
もちろん、何の期待もせずにたずねたのだが、期待は予想外な方向に外れた。
「そら、ヤクルトやろ」
わかっていても、ここは笑いをこらえて親孝行。
「それは、なんでや?」
父はゴクンと喉を鳴らせて間をとった。
「よう考えてみい、ツバメゆうたら英語でスワロウやろ、スワロウゆうたら、ヤクルトやないかい、ヤクルトスワローズや、そやからツバメはヤクルトが好きに決まってるやないか」
「なるほど、そういうことか」
「オマエな、高い月謝払うて中学からわざわざ私学に通わせたのに、そんなことも知らんのか。それだけやないで、ついでに教えたるけどな、動物の中でもライオンとペンギンはな、虫歯にはならへんねんで、なんでかわかるか?」
これも親孝行で首を横に振る。
父はますます笑顔の風呂敷を広げる。
「ライオンもペンギンも、歯磨き粉をつくってるやろ」
「なるほど、ライオン歯磨きとサンスターやな」
「そうや、そういうことや。わかったか、ワシみたいにここまで頭がシャキッとしてる年寄り、なんぼ捜しても、なかなか世間にはおらんで」
「さっき何でも忘れると自分で言うたやないかい?」
「忘れた」
「ところで、ヤクルトは何でツバメなんや」
「……」
「それも忘れたか?」
「いや、忘れようにも、その前に最初から知らん。知らんもんは、忘れようがない」
「よう考えてみ」
「わかった! ヤクルトはツバメが飲んでも体にええからや」
「そんなことがあるわけないやろ、ヤクルトはもともとは何やったんや?」
「たしか昆布やったんとちゃうか」
「それは味の素やがな、ヤクルトは乳酸菌や……そういうことやなくて、ヤクルトスワローズは、もともとは何スワローズやったんやと聞いてるんや」
「そらオマエ、国鉄やないかい、国鉄スワローズや、金田がおったんや」
「そうや、その国鉄の東海道本線を走ってたんが、特急つばめ号や」
「そしたら何か……今やったらヤクルトヒカリーズにならなあかんやないか」
「いつの時代や、今はのぞみの方が早いねんで」
「それやったら、ヤクルトノゾミーズか」
「なんでわざわざヤクルトが国鉄を引き継がないかんのや」
「ほんなら、なんで国鉄が手放した時に名前を変えへんかったんや」
「そら、スワローズいうチームの名前に愛着があるファンがぎょうさんおったんと、それと単にじゃまくさかったんやろ」
「それは違うな、じゃまくさかったんやないわい。よう考えてみい、そもそもヤクルトを売ってる会社がヤクルトやろ、そやから普通やったら、ヤクルトヤクルトーズになって、言いにくいからに決まっとる」
「それやったら、ヤクルトオバサンズゆうのはどないや」
「そんなもん、ベンチで井戸端会議ばっかりして、ゲームにならんやないかい」
「それは一理あるな」
とにもかくにも、父は近年稀に見る水準の、すこぶるご機嫌状態であった。
さて翌朝、定石なら昨日のことをすべて忘れているはずの父が、起きてくるなり「チューチュー」と言い出した。
ちなみに「チューチュー」というのは、父が小学生だった頃のあだ名であることが、ごく最近になってディサービスの介護士によって発覚した。
体が小さくチョロチョロとすばしっこかったからか、小さな顔と頭がネズミに似ていたからか、そのどちらかの理由だと私は踏んでいる。
「チューチューって、いったいどうしたんや、自分のことを呼んでるのか」
「チューチューゆうて鳴くのは何や? それがどうしても思い出せんのや」
「そらネズミや」
「違う、鳥の話や」
「それなら、チュンチュンやろ」
「そうや、チュンチュンや」
「それは、スズメや」
「そうや、スズメや、昨日来とったそのスズメは、今日は来とらんのか?」
「昨日来てたのは、そらスズメとちごうて、ツバメや、ツバメとスズメはえらい違うで」
「そうやったか、ツバメやったか、何でもええわ、今日は来とらんのか?」
「さっき何回か来てたよ、今はまた、表で遊んでるんやないか」
「なんか言うてなかったか、ワシのこと」
「親父はどないしてん? ゆうて聞くから、今日は病院(ディサービス)休みで、朝寝坊してる言うたら、"相変わらず伸びんのう"言うて笑うとったよ」
「ほんまか、あいつらそんなこと言いよったか。けしからんやつやのう、しもたなあ、もっと早起きしたらよかったなあ」
「そんなにツバメがかわいいか?」
「そら、かわいいやろ、生き物はみんな」
「いやあ、親父にそんな優しい人間らしい心があること、生まれて初めて知ったわ、それは何か、ツバメが小さい鳥やから可愛いんやろ?」
「ワシはなあ、こう見えても昔、象に頭どつかれたことがあるねんで。
ワシが子供の頃に大阪に象が来てな、それを親父と一緒に見に行ったんや。ワシな、その時に饅頭持っとってん。ほんでな、沿道で見てたら、象がゆっくり歩いてきてな、ワシの饅頭をくれ言いよってん」
「そんなこと、象がしゃべるわけないやないかい」
「しゃべらへんがな、鼻でワシが持ってる饅頭を取ろうとしよったんや」
「やったらええやないか」
「アホか! ワシかて饅頭食いたいやないか……それでワシは饅頭を象にとられへんように後ろ手で隠したんや、そしたら象はあきらめよってな、そのまままた向こうの方まで歩いて行きよってな、そのあとだいぶ経ってからUターンしてまた同じとこに戻って来よってん」
「ふんふん、それから?」
「そしたらな、もっぺんワシの前を通る時にな、ヒュッと鼻を伸ばしよってな、ワシの頭をコンと一回どつきよってん。えらいもんやで、ちゃんとワシの顔を覚えとったんや」
「それで、痛かったんかい」
「痛いことあるかい。それより、あれだけぎょうさんの人が沿道につめかけて象を見ててやで、その象がワシにだけコンと触ったから、ワシはもう、みんなに羨ましがられて羨ましがられて……」
「それは、嬉しかったなあ」
「嬉しかったなあ……ほんまにあの時は嬉しかったなあ、あんなけ嬉しいことは、一生のうちでも、ほんまに何回かしかないなあ……」
「ほら、またツバメが帰ってきよった。ほれ、もう一羽も」
二羽が並んで床の間の掛け軸の上に腰掛け、私たち親子を見下ろし二人で交互にチチチチピピピピと話しかけてくる。
どうやら父の昔話を、自分たちにも聞かせて欲しいと言っているらしい。 了
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