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エッセイ ジャズを訳す 

※ 父が在命中に書いた、数年前の文章です。

 ことの発端は、父のひとことだった。

 我が家では、認知症の父を夜中に長時間一人きりで家に残して外出ができないので、しょっちゅう私の仕事……つまりイベントに出たり、ライブを聞いたりする現場に連れていかねばならない。

 イベントの主催者からすれば、夜に私を招聘すれば、グリコのおまけのようにもれなく父が付いてくることになる。

 この歳になって、それまで散々自由奔放、自分勝手に水しぶきをまわりに撒き散らしながら世の中を泳いできたこの不良中年が、初めて幼子を持つ母親の苦労を嫌というほど味わい、時には苦虫を咬まされているのだから、なるほど勝負は下駄を履くまでわからないとはよく言ったもので、人生のプログラムは巧妙かつ摩訶不思議であるとしか言いようがない。

 けれども父は案外、私が発信するブログなどのおかげで、行く先々でちょっとしたアイドル並の人気者で、時には若い女性が顔を近づけて写真に収まることを切望したりするものだから、父が本番中頻繁にトイレに立っても、まるで空気を読まずに突然大きなため息や欠伸をしても、概ね広い心で受け入れてくれるので非常に助かるのである。

 そういう事情で、世の中に、我が父ほどたくさんの生の音楽を聞いている年寄りはまず居ないと、私は確信しているのである。
 
 まだ冬が居残る寒さの厳しいある日曜日の夜、いつものように父と同伴で、初めて聞いた名のユニットの演奏に遭遇した。

 内容はお世辞にも、バンドも含めて決して上手いといえるようなものではなかったのだが、それでも生には生の独特の雰囲気があり、私としては、ほんの少しだけ目をつむって飲み込めば十分小腹の足しにはなる演奏だった。

 歌っていたのが女性だったことが最大の理由なのだが、父は案外気に入って、やたらと真面目に、精一杯集中力を持続させてその歌を聴いていた。

 歌われていたのはほとんどがスタンダードジャズや有名なポップスのカバーだった。

 帰りの車の中で父が、

「やっぱり、生の音楽は、ええなあ……」と、珍しく正常で一般人的良識のある言葉をつぶやいた。
 そしてそのあと、

「そやけど、いったい何のことを歌うてるんか、なんぼ聞いても、サッパリ歌詞の意味がわからんかった……」

 私は笑いながらこたえた。

「そら、ナンボ聞いても、親父にはわからんわ……全部、歌詞が英語やったからな」

「そうか! 英語やったんか、それで意味がわからんかったんやな、ようやく深い謎がとけたわ」

 私は父独自の尺度による『深さ』の絶対値を思い、爆笑をこらえ、かろうじて「謎がとけてよかった」とだけ返したのだが、そのあとの父の言葉がすごかった。

「せっかくええ歌を聴いてるのに、あれが日本語やったらなあ……もっと歌の意味がわかって楽しめたのになあ……」

 まさに、このようなことを言えばせっかくの栄誉ある要介護3の称号を取り消されるのではないだろうかと思えるような、父の名言、快挙ではなかろうか、私は一瞬頭をハンマーで殴られた気がしたのである。
 
 私をはじめ、音楽やその業界に携わる人間は、皆あたりまえのように、見栄えの悪さや臭みを嫌悪するあまり、知らず識らずのうちに非常に重要なことを置き去りにしてきたのではないかという罪悪感が胸をよぎった。

 創作活動の純粋な自己表現は、他者の目や評価を一切気にせず、あくまで自己の価値観にのみ忠実にあらんとする姿勢を貫くことが、たしかに基本ではあるのだが、それ以外の角度からも真実は存在するのではないだろうか。

 現に付近を見渡せば、地方は特に客のほとんどがいわゆる、音楽鑑賞的には素人である。

 特に年配者は、演歌は聞いても洋楽は聞かず、そのうえ今の邦楽は半分英語で意味不明だから感情移入しがたい。

 ジャズなんてものはさらにその先にあって、普通の歌よりずっと敷居が高い存在であるにちがいない。
 そして何よりも、素人の存在が音楽的にまったく無意味なわけがないではないか。

 たとえばそういう人たちに対しての『伝える』ということの動機や意味や努力は、全部が全部を小馬鹿にするものではないはずなのだ。
 
 この"気付き"は、都会で流されていれば決して見えなかったのではないかと思えてならない。

 私が住む萩市佐々並は、冗談では済まないような限界集落である。
 車で片道30分の山口県庁や山口駅、さらに新山口駅あたりまで山を下っても、やはり田舎……よく言って地方都市である。どう見まちがえても渋谷や新宿、梅田や三宮でもない。

 首都圏で日本語に訳したジャズなどを聞いても、臭いに決まっている。

 街の隅々まで無機質な清潔さが覆い尽くし、摩天楼がそびえ、24時間人工的に明るく、誰もがセンスを競って着飾るのが当たり前のようになっている。

 道路にトラクターは走っていないし、ガードレールも夏蜜柑色に塗られていない。

 繰り返すが、同じ日本でも、ここは別物なのである。

 念のため『ちがう』ことは、悪いことでも恥ずかしいことでもない。
 強いてことばを選べば、その違いは素敵なことであり、同時に面白いことなのである。

 現にそれが好きでわざわざ私は山口に住みついているのだから……。

 この地には、都会では考えられない大らかさとアナログ感覚がある。

 県庁に最短の駅に列車は1時間に1本しか来ず、しかもそれは電車ではなくディーゼル車、そのうえ長くて2輌編成。

 渋谷の駅のように気が遠くなるほど活発に動き続ける無数の人間が居ないかわりに、相当数のスローモーションな年配者が笑っている。

 青く澄んだ空、綺麗な川、美味しい食材、のんびりとした気質……。そして何より、老人がスウィングしている。

 私はようやく気付いたのである。

 スタンダードジャズを、キチンと魂を込めて日本語に訳して、悪戦苦闘してでもメロディーにのせ、オリジナルの情緒を保ち、歌い広めるのが、私が生まれる前からプログラミングされていた私の使命の一つなのではなかろうかと……。

 そうして、私の訳詞の格闘が始まったのである。  

 

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