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作詞講座 日本語

【作詞家の 久保研二による 人民のための 日本語教室】

 肉じゃがの材料が、まずは牛肉とジャガイモのように……ラブソングの材料となる歌詞の言葉になるのが「恋」と「愛」です。

 さてこの「恋」と「愛」の差などを、私のような職業の人間は、どうしてもいやらしく探ったりするのであります。しかも斜に構えながら……。

 まず大事なことは、
「恋」は子供で「愛」は、アダルトだということ。
 こういう時にも作詞家の本性が出まっしゃろ? 恋の「こ」と子供の「こ」、愛の「ア」とアダルトの「ア」が、韻を踏んどるんですわ……まあこれは余談。

 さて気をとりなおして……

「恋」は他の漢字と合体……いわゆる熟語として発展する可能性が非常に少ない漢字なんです。
 これは他者との深いコミニュケーションによる拡大性が、大人より子供の方がずっと限定されていることに似ています。自由と放蕩、快楽追求の許容範囲の差です。「恋」は「愛」より単純に扱われます。

 その結果的「恋」とつながる「熟語」が、「愛」に比べて圧倒的に少ないという現象につながるのです。
 もちろん一般的に口語として使用される、つまり耳で聞いて一瞬で意味を判別できる「熟語」のことです。

(※「恋愛」は、このテーマでは「恋」と「愛」のカフェオレ、ハーフアンドハーフですから、「恋」の熟語としては除外されます。)

 「恋」の場合、たとえば「恋心」(こいごころ)•「恋わずらい」•「恋敵」(こいがたき)みたいなものがやっとです。

 もちろん「恋」の熟語の代表格は「恋人」。

「恋」が「人」と合体すると「恋人」になるのですが、この段階ではやはりまだ、不純異性行為に至らないあどけなさがあります。

 これが「恋」のかわりに「愛」になると、一気にニュアンスがアダルトになります。「愛人」ですから。

 この「愛人」という言葉はなかなか意味深長です。

「愛人」とはまさしく「愛する人」なのですが、この「人」の中に「妻」は含まれないのです。
 それが証拠に、我が国の国語辞典には「愛妻」という熟語が、わざわざ別に用意されています。 
「愛妻」と比較される熟語が「悪妻」や「恐妻」です。

 この「愛人」が、単なる一般の「人」とは別モノを意味することだということは、「愛」がからむ他の熟語を並べるとすぐに理解できます。

「愛犬」「愛猫」(あいびょう) 「愛車」 「愛煙」 「愛盤」「愛称」「愛唱」「愛国」……つまり、「妻」は他の動物やモノ、さらには国家なんかと同じくくりにあるのです。
妻であっても「人」に含まれるのですが、妻は人にあらず、まさに「愛人」とは正式な妻以外の「人」のことをさすのです。いわゆる不倫相手ですな。

 これらの多様性が「恋」には欠落しています。「恋」は意図的に、日本人の意識の中であえて隔離されているに違いないのです。 年齢制限のついた映画のように。

 さらに「愛」のアダルト性を証明しましょう。
 この「愛」と言う字とまぐわうだけで、お子ちゃまには縁遠い、さまざまな熟語が色香を発散させます。

「愛憎」 「愛嬌」「愛飲」(主に酒) 「愛玩」 「愛妓」 「愛撫」「愛液」 エトセトラ。

 ちなみに「愛情」というのは「恋心」よりも「人情」がからんでいるということです。

「人情」といえば、
♪ 義理と人情を秤にかけりゃ〜 で、軽いほうのことをいいます。まあ人情ってなものは風情の親戚ですから。

 さて、そのお子ちゃま的な「恋」の熟語である「恋人」ですが、これはちょっと誤植すると「変人」になります。
 それでも「変人」のうちはまだ未成年でも使えます。
 この「人」が、人物ではなく状態を表すと、一気にアダルトに昇華するのです。それが「変態」。

 私が小学校高学年の時、図画の授業で、各自好きなポスターを描くという課題がありました。
 皆が交通安全などをテーマにする中、私が描いたポスターは、ベランダに干してあるブラジャーとパンティに今まさしく指が届かんとする肘から先だけの手でした。
 そしてその下に書いた文言。

「変態……止まれ!」

 私は大傑作やと自負したのですが、当時の女性のせんせにメッチャ叱られました。

 私は、たまたま数日前にテレビのニュースでそういう事件を知ったので、純粋に防犯対策として考えたのですが……。

 やっぱりお子ちゃまにはまだ扱ってはいけないテーマと熟語だったようです。

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