住宅街のブランド化が難しい

田園調布に空き家が増えている、みたいな記事を見かけることが多くなりましたが、どちらかといえば気になるのは、こうした有名な住宅街がことごとく戦前に作られたものであることです(例外は披露山庭園住宅地)。

「都市景観大賞に入賞した住宅街」や「まちなみデータベースにある住宅街」などを見ると、戦後に作られた住宅街で優れた設計思想と工学的手法と管理があるものがたくさん掲載されていますが、ほとんどの住宅街は無名でしょう。

田園調布の住宅・土地でさえ次の買い手が見つかりにくくなったというようなある種のマーケティングコストを払って「集客」をせざるを得ない状況になってしまっているのは、戦後日本で住宅街のブランドを作っていくことが難しい要因があるような気がします。

上記の戦後に作られた住宅街は建築協定なり何らかのルールがあるようですが、そうしたルールも買い手が変わるたびに次第に破られるようになる傾向もあるようです。田園調布に関しても1923年に出版された『田園都市案内』にあるような田園調布ではなくなってしまい、少し街の方向性が分かりにくくなっていることは否定できないでしょう。

そうした要因を未だに特定は出来ていませんが、マルクスがいうような資本主義の形成過程のなかでの資本の原始的蓄積の前に、感情の原始的な蓄積があるような印象があり、憧れの対象となるような住宅街が生まれにくいことは、日本の資本主義経済の課題と言えると思います。

アメリカの一部の住宅街がブランドを保てている理由の一つは、一種の町内会であるHOA(Homeowners Association)の存在もあると思われます。興味深いことに、私有財産制を最も礼賛している国のその根幹であるマイホームにはHOAによる様々な規制があります。私有財産制であるはずなのにある種の全体主義的な側面があるのも不思議ですが、結果としてHOAの規制によりそのエリアの資産価値は高まるようです。

アメリカ人が何故こうした集団的規制が寧ろ私有財産の価値につながるという感覚を持つようになったのか、は良くわからないですが、1961年にスポーツリーグが各チームの代わりに放映権を一括して交渉することが「独禁法違反」にならないとされた「1961年スポーツ放送法」の成立なども興味深いです。日本では各チームの財産権を尊重して未だにDAZNでは広島戦が見れない・パリーグTVはあるのにセリーグTVは無い・外国から日本のプロ野球の試合を見るのは結構難しい等々ありますが、結局MLBとの格差は広がるばかりです。このように各人の財産権を尊重して、全員で損をするみたいなパターンは他にもある気がします。

戦前の日本の住宅街がブランド化したのは、集団的規制が寧ろ私有財産の価値につながるという感覚を当時の住民たちが持っていたからなのでしょうか。


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