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多様性がしっくりこない理由

〝心と体〟は人の数だけあるけれど…

心や体が人の数だけあると聞いて疑問に思う方はそんなに多く無いと思います(多分)。

だって普通に〝自分と全く同じ人間〟が存在したと想像したらなかなかに不気味現象だと思いますし、仮に今この瞬間に雪凛が全く同じ2人に分裂したとしても分裂した瞬間からその2つの個体は存在が別になってしまいます。

なぜなら分裂した直後、仮に2つの個体が並んで同じ風景を見て同じ音を聞いたとしても厳密にそれらの個体は微妙に違う〝位置的なズレ〟が生じた風景や音を感じる事になりますし、吸い込む空気でさえ全く異なった成分で在る事はすぐに理解できると思います。

それは入力される情報や成分(インプット)に差異が生じていると言う事なので2つの個体が全く同じ個体として活動・成長をしていく事は不可能であると言えます。

…更にです。
仮に同じ人を好きになったとして思いが成就したとしますね。
どうあがいてもそのパートナーとの体験や経験は同じインプットになりませんよねぇ(意味深w)

全くの蛇足ですが…
雪凛の好きな漫画のバスタードに出てくるダーク・シュナイダー様は『4人までなら同時にオッケイ!』とおっしゃってますけれども、4人同時に全く同様の『(*´Д`*) 〜зアァン』な事は絶対不可能でしょうw

まぁそんな訳で、概ね〝心と体〟については最初から個体としての多様性を認めている人ばかりだと思われます。

『全ての人間は平等だ』という主張は理解出来ますけれど、
『全ての人間は同じだ』という主張は『?』と感じますでしょ?

あ、ここで言う〝認めている〟というのは〝納得している〟とか〝理解している〟という事を超越した単に〝存在を認識している〟と言うイメージ。

正しくBeing(存在)としてとても自然な事だと思います。

なのに…です。

ここに〝性別〟の要素を入れた途端に多様性が急激に面倒臭く理解が難しくて、扱いが難しいモノと感じる人が多くなってしまうのですね。

これがなぜ起きてしまうのか?

本来は多様なモノ(性)を限定されたモノ(性別)として掛け合わせる事で本質からズレてしまうからです。


〝性〟は〝らしさ〟を生むアイコン、心と体の間にあるモノ

さて〝性〟です。

〝性別〟ではなく〝性〟です。

〝性別〟と言うのは『男と女、雄と雌の区別』の事で突き詰めて行くと生殖に関してY染色体を持ってるかそうでないかと言う体の構造的・機能的な分類です。

では〝性〟は?

〝セイ〟とか〝ショウ〟と読みますね。

性質・性格・性行・性情・性癖・性善・性分(しょうぶん)・性根(しょうね)etc…

これらに共通するのは『生まれつきに持ってる本質(エッセンス)』です。

〝性〟ってその人特有の思考や行動のクセの様なモノです。

雪凛はそれこそ〝らしさ〟の根源だと考えています。
別の言い方だと〝っぽい〟ですね。

『男らしい』とか『女らしい』とか『スポーツマンっぽい』とか『チャラい』とかねw

要するに〝性〟ってこれまた人の数だけある訳です。

更に言うと、〝心〟と〝体〟の間にあって双方をつないでいる様な位置関係だと思うのです。

例えば…

〝性別〟は体(の構造)に注目した場合の〝性(本質)〟の〝区別〟でどちらかというと『体に寄ってる考え方』です。

一方で多様性の話の時にやたらと見聞きする

〝ジェンダー〟は心(の在り方)に注目した場合の〝性(本質)〟の〝区別〟(※正確には↑を社会的・文化的に説明する為に形成された性)でどちらかと言うと『心に寄ってる考え方』です。

だから雪凛のセラピーには〝性〟が欠かせないので〝心・性・体〟のセラピストと肩書きに載せている訳なのですが…

この〝性〟を単純に〝性別〟として捉えるとその人の本質を捉える事は出来なくなってしまいます。

なぜかと言うと、単純計算で情報量が1/5になってしまうからです。


1/5の情報量で納得してる〝つもり〟なのでチグハグになるのです

〝心と体が人の数だけある〟の〝人の数〟を便宜上〝∞〟としましょう。
あくまでも便宜上の∞であって数学的な∞ではないので悪しからず

ソコに〝性別(2種類)〟を用いた時の式は…

∞ × 2 × ∞ =2×∞の二乗

です。これを〝性(∞)〟にすると…

∞ × ∞ × ∞ =∞の三乗

です。

分かり難いと思うので分かりやすくする為に『∞=10』にしてみます。

〝性別〟の場合は…

10 × 2 × 10 =200

〝性〟の場合は…

10 × 10 × 10 =1000

ですね。

要するに本来は〝人の数だけある性(本質)〟を〝性別〟として2つに固定する事によって情報量が1/5になってしまうと言う事です。

逆に言うと80%は本質を捉えていない事になるのですけれども、その事に気づく事なく理解をしようと試みるからとてもチグハグな理解が進む事になります。

即ち…

『女性の見た目をしてる人の恋愛対象は男性』

『ニューハーフもオナベも性同一性障害』

『女装はみんなゲイ』

『マイノリティーは皆迫害されている』

etc…

…などと言った決めつけ的なƪ(˘⌣˘)ʃヤレヤレな言動は全てそのチグハグな理解を拗らせた結果なのですねw

そしてその理解では物事がうまく進まないのでこう考える訳です。

多様性ってなんだか(理解出来ないので)面倒臭い…』とねw



結局DoingとBeingの話になる(苦笑)

結局の所、多様性とはBeingそのものなのですよね。

存在を(そのまま)捉えるだけの事。

〝心と体〟にそのまま〝性(本質)〟を加えて捉えるだけの事です。

ただ『世の中のルール的に〝性別〟で区切られている事が沢山あるんだけどそれはどうするの?』って声がめっちゃ聞こえて来そうですね。

それが多様性の社会的なテーマであって、これから変えて行くべきテーマと言うだけです。

ガッツリDoingだけで考えると〝ルールを変える〟事に抵抗が生じます。
なぜなら『自分に関係ない(と思ってる)事のルール変更に何で自分が対応しなくてはならないの?』的な考えが前面に出てくるのでしょうね。

でも、それって順番が逆なのですよ。

人間関係は本来モラルで対応出来ればそれに越した事は無いのです。
しかし多様な価値観や習慣的常識などが異なる(正に多様性w)中で皆が共通して守べき『最低限の線引き』としてルールが出来てきた…に過ぎないのです。

なので既存の〝ルール〟から在り方を理解するのはとても本質を欠いた理解を生むのでしょうね。

例えるなら仕組みの成り立ちである〝式〟ではなく
既に導き出された答えである〝平均値〟を因数分解しようとしてる感じです。

それがこのnoteの論拠である80%の正体であり、Doingを用いてBeingを理解する事は到底不可能と言う事の示唆なのだと思ってます。

多様性の時代とは〝Beingからルールを構築していく事〟がアチコチで起こっていると状態なのでしょう、だとすればまず最初にする事はBeingで捉える事が求められているのでは無いでしょうか?

今までDoingだけで生きて来た人にとっては強烈なパラダイムシフトを迫られている感覚となるのも仕方の無い事なのかもしれません。

いや〜、これって
射精の呪縛(高まり&放出)→インナーオーガズム(高まり&鎮まり)と
全く同じ構図ですねぇ…w


性別(Doing)ではなく性(Being)で捉えるには?

これまたインナー(オーガズム)アプローチと全く同じなのですけれども…

今までの価値観(性別で分ける)を横に置いてゼロから〝性〟を捉える

しかありません。

先ほどあえて〝Beingからルールを構築〟と書きました。

正確には〝再構築〟なのですけれど、〝再〟がつくと〝再利用〟とか〝再放送〟と言った〝繰り返す〟イメージが強くなってDoingの価値観を(使える部分は)再利用する(したい)…ってなってしまうと思ったから〝構築〟を利用したわけです。

もうちょっとわかり易く例えると…

携帯電話とスマホの関係と言う感じ…と言うと理解しやすいでしょうか?

スマホから入った人にとってはiモードとか不自由極まりないと思いますし、
ムーバP101(雪凛初めての携帯w)とか意味わからないと思います。

だから…です。

何も〝性別〟を忘れろ…と言う訳ではありません。

〝性別〟の価値観とはまた別の〝性〟の価値観が〝在り〟そして徐々に主流になっていっている…と言う様な捉え方をすると必要以上に抵抗してストレスになってしまっているのではないでしょうか?

最初に触れた『本来は多様なモノを限定されたモノとして掛け合わせる事で本質からズレてしまう事を避ける』とはこの事です。

ストレスってエネルギーを〝無駄に〟消費させられ続ける事なのですから…


セラピスト向けまとめ

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