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第十三回「天国旅行」

早く来て。
まだ梅雨時だというのにまるで真夏のような暑い日だった。俺は山で調査を終えた後、山道を降りて舗装道路へと抜けた待避所で祖父の訃報を聞いた。身内しか入れない安置室で、高校まで一緒に過ごした家族が一同に介していた。その側で祖父は安らかに眠っていた。少し前歯がのぞいた口元が印象的だった。

葬祭ホール。大勢の親戚。暑い喪服。
なんだか俺には現実感が無かった。葬儀やら何やらが終わり、5日ぶりに実家へと帰った家族は、すぐに祖父の遺品の整理を始めた。自分も含め、あまりにも早く身内の死を受け入れてしまうことに違和感を覚えた。
こういうものなのだろうか。何故誰も何も言わないのだろう。あの時こうしていれば、もっと元気なうちに話をしていれば、ずっと側にいてあげれば。そんな感情が脳内を支配したが決して口には出さなかった。


ふと祖母が俺の名前を呼び、遺品の中で欲しいものはないかと聞いてきた。アクセサリーや小物を見せながら、一つ一つ思い出を聞かせてくれる祖母。話によると、どうやら祖父はかなりのお洒落さんだったらしく、ネクタイピンやらカフスやら洋服やらが自室から相当数発掘された。いつ着てたんだろうこんなの。俺は自分が使っても違和感のなさそうな数点を持ち帰ることにした。



「人は死んでも居なくならない。思い出してあげることで、記憶の中で生き続けているんだよ」

俺はハッとした。

大切だった人が、いつの日か教えてくれた言葉を思い出した。身体から魂が剥がれ落ち、肉体的には存在しなくなったとしても、私たちの記憶の中で生きている。誰からも忘れ去られてしまったときが、その人にとっての本当の「死」なのだろう。あの日、家族が早々と死を受け入れていたように見えたのは、きっとその事を知っていたからだ。思い出話に浸るわけでも、自責の念を募らせるわけでもない。誰も言葉にはしなかったけど、祖父は確かにそこにいた。存在していた。穏やかな表情のまま、いつまでも笑っていた。
今はまだ全てを言葉にする必要は、無い。

49日の旅行を経て、極楽浄土へと向かう祖父の魂に、俺は心からの合掌をした。


あれからもう一年が経つ。実家では相変わらず家族が元気に暮らしているし、地元方面で仕事をする時はたまにお昼を一緒に食べる。祖父の話はしない。けれど祖父の座っていた椅子は、今もリビングに置かれている。心なしか5人で食事をしている気分になる。

車は二車線しかない国道に乗り、実家のある街へ向かって走る。俺はあの日受け取った、ネクタイピンとカフスをして。



2023.6.17

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