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ヤノマミ族の風習について思ったこと

「ジャガー、ワニ、バク、サル、・・・天は精霊の家だ。人間も死ねば天に上り、精霊になる。地上の死は死ではない。魂は死なず精霊となる。精霊もやがて死ぬ。最後に男はハエやアリとなって地上に戻り、死骸に群がり肉を運ぶ。女は最後にノミやダニとなる。地上で生き、天で生き、虫となって消える。ナプも知らねばならない。誰もが同じ定めを生きる。- ヤノマミ族の老シャーマンの言葉

一昨日の夜、Youtubeで「ヤノマミ ~奥アマゾン 原初の森を生きる~」というすごいドキュメンタリー映像を見たのだが、ヨーロッパ人の入植者による暴力や疫病などでアマゾンに住んでいた原住民たちは減少、絶滅していったり、さらに宣教師によるキリスト教化と文明化(白人文化への同化)や近年の過度な開発や伐採などによる環境破壊によって原住民独自の文化や社会が崩壊していった中で、ヤノマミ族はアマゾンの原住民の中で伝統文化を保っている数少ない部族の一つである。

彼らはブラジルとベネズエラの国境に近いとこに住んでおり、シャボノと呼ばれる独自の集団住居に住んでいる。

彼らは自らを「人間」を意味する「ヤノマミ」と呼び、ヤノマミ以外の者を「ナプ」(日本語で言うと「よそ者」に近いのかな?)と呼ぶ。

彼らにとって「ナプ」とは「人間」ではないもの、いわゆる人間以下の存在なのである。

つまりヤノマミ自らが「本当の人間」なのである。

さて、本題に入るとするが、ヤノマミ族は子供を産むと、母親はすぐに子供を抱くことが許されない。

なぜかというとヤノマミ族は生まれたばかりの赤ん坊はまだ「精霊」のままであり、人間ではないのだと考えているのである。

彼らは母親に二つの選択肢を与える。

一つは「人間として育てるか」、二つは「シロアリに食べさせて精霊のまま天に返すか」、それを母親自身で決めなければいけない。

部族の掟であるとはいえ、なんだか辛い選択肢である。

赤ん坊を人間として育てることを選んだ場合、母親は子供を抱くことを許されるが、精霊のまま返すことを選んだ場合、へその緒が付いたままバナナの葉でくるみ、白アリの巣の中に放り込んで食べつくすのを見計らった後、巣を燃やし、精霊として天に返すのである。

しかし、我々文明人にとってこのような風習は中々理解しがたいものであろう。

しかもヤノマミ族の女性はなんと平均14歳で妊娠するのである。日本の基準だと中学生ぐらいの年齢である。

例えばである。

よくたまにニュースとかで報道されることだが、中学生の少女が生んだばかりの胎児を遺棄したとして警察に逮捕されることがあると、我々はその少女を「愚かだ」「命を何だと思っているんだ」とすぐ責めるだろう。

しかし、前述のようにヤノマミ族の少女は産んだ子供をシロアリの巣の中に入れて精霊として天に返しても、彼らは彼女を責めたりはしない。

それはなぜか?

我々の社会では犯罪であり非常識、ヤノマミ族の社会では掟であり当たり前という違いがある、ただそれだけのことである。

多分、ヤノマミ族(に限らず他のアマゾンの原住民にもそういう風習をもっている部族がいる、いたかもしれないが)はジャングルで暮らしていく中で人口を増やしていくと、食糧不足になりやすいため、彼らは人口を抑制するためにあえて「シロアリに食べさせて精霊のまま天に返す(いわゆる間引きの儀式)」という選択肢を選んだのだろう。

「子供を殺すのは悪だ」「中絶するなんてお腹の中の赤ちゃんがかわいそう」と主張する人がいる一方で、世界各国の人口がどんどん増えつづけ、地球全体の資源をむさぼり続けるまでとどまることを知らない今の現代社会を見ていると、一体どっちが正しいのか間違っているのか、と言っているわけではないがなんだかいろいろ考えさせられる、そんなドキュメンタリー映像であった。

というわけで、ヤノマミ族の衝撃的な「子供をシロアリに食べさせて精霊のまま天に返す儀式」のドキュメンタリーはこちら!皆さんもぜひ見てほしい。

 

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