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実家のねこが亡くなった

※ペットの死について書きます。


久しぶりにnoteを開いたら2年記念バッジをもらいました。



今日母から急に電話があった。友達と通話していたから直ぐに出なかったけどメッセージで「チャイが死んだ」と来た。直ぐに折り返した。

母は泣きじゃくっていた。母は映画『火垂るの墓』を見る時いつも泣くのだが、そんなの比じゃないくらい、聞いたことないくらい泣いていた。嗚咽していた。ビデオ通話に切りかえて貰って、ねこの亡骸を見た。まるで生きているみたいに、ねこベッドで丸くなっていた。

話によると、朝家族が仕事に行く前はいつも通り眠っているだけに見えたそうだ。もしかしたら、その時既に死んでいたのかも分からない。

あの時気づいていれば。チャイじゃなくてママが死ねばよかったんだ。チャイがいなくて今夜からどうやって寝ればいいか分からない。もっと可愛がってあげればよかった。母はずっとそうやって泣いていた。私は聞くのが辛いと思った。


私は現在一人暮らしだ。ねこと会うのも数ヶ月〜半年に1度くらいだった。だから、ねこがいない生活には慣れていた。逆に言えば、今度帰る時もう実家にチャイがいない、その実感がうまく感じ取れなかった。心がざわざわした感じだった。

母の悲しみはよく分かる。うちにはねこが2匹いる(いた)が、私と兄が大学進学のため実家を出てからは、ねこ2匹が新しいうちの子供のように可愛がってもらっていた。私としても、母や父が寂しくなくなるから、ねこがいて良かったと思っていた。母はねこ2匹をまさに猫可愛がりしていた。とくにチャイは甘えん坊で、ご飯をあげる時は、カリカリの音だけですっ飛んでくるデブねこだった。でも、画面越しに見る丸くなったチャイは、母が「ご飯だよ、起きて」と何度呼びかけても声をあげなかった。それがまた辛かった。

画面越しのチャイは、死後硬直が始まって体が固まっているらしかった。けれど母に何度も撫でられる様子を見ても、まだ温もりを残した体のようで、やはり実感が湧かなかった。悲しさはあった。戸惑いもあった。


ある程度落ち着いたところで、電話を切ると言われたけれど、私はまだチャイを見ていたかった。母ほどではないにしろ、私も涙が止まらなかった。後で写真を撮って送ると言われた。写真はまだ届かない。

通話が終わったあと、私はチャイのために黙祷した。可愛いチャイ、甘え上手のチャイ。まだ5歳だった。早すぎた。まだ信じられない。体に悪いところがあった訳でもない。もしかしたら、太っていたのが災いしたのかもしれない。でも、苦しむ素振りも見せずに、眠るように召されてしまった。寒くなってきたから、チャイと眠る想像をしながら眠りにつくこともあった頃であった。もう記憶と映像の中でしか姿を見ることが出来ない。私と一緒にいられる時間は短かったけれど、私のことを家族と認めて甘えてくれた。

チャイは元々私が高校時代の友人から子猫の時に譲り受けたねこだ。貰う時に返礼品としてメロンを持っていった(私はその話を聞くまで忘れていた)。母はよく、その時持っていったメロンよりおっきくなっちゃったと言って、チャイをからかっていたそうだ。

母と兄と私。ねこ自慢は母の癖。

たまたま、数週間前の家族やり取りをスクショしていた。この時は死ぬなんて想像もしていなかった。やはりまだ信じられない。チャイはもう一匹のねこ、さばとよくやっていた。よく二匹で喧嘩したり、父の膝の上を取り合ったりしていた。さばは多分いま8歳くらいだ。まさかさばより早く逝くなんて考えもしなかった。形あるものいつかは、と思っているから、決して理不尽だとは思わない。だけど、少し病弱なところがあるさばより早くいなくなってしまうなんて、想像もできなかった。それくらい、チャイは順風満帆で元気いっぱいのねこだった。


チャイは大切な家族の一人だった。正直今も、いなくなったことを実感できないし、帰れば鳴きながらお迎えしてくれるんじゃないかと想像してしまう。せめて、彼女が苦しまずに逝くことが出来たなら、と思う。母も、心の支えを失って、これから辛く虚しい日々が始まるだろう。私よりずっと喪失感もあるだろう。でもどうか、自暴自棄になったり諦めたりしないでほしい。お互いに愛情を注ぎあえたという事実を心に抱いて、生きていくしかない、と思う。

もっと一緒にいたかったけれど、思い出のひとつひとつを灯火のように、私の心の中で灯し続けていこう。かわいいチャイ、虹の向こうでも、たくさんご飯とチュールを食べて、たくさん寝て、楽しく暮らしていけますように。うちに来てくれてありがとう。そして、さようなら。

さばとチャイ、チャイは大きくて健康的ないいねこだった。

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