四十不惑 ー 四十歳を超えるときに考える

四十不惑 ー 四十歳を超えるときに考える


コトバ

人生の終端点に近づくのを肌で感じることが多くなった

孔子の言葉にある『四十不惑』『五十天命』『六十耳順』をとうに過ぎてやがて『七十従心』へと向かう

不惑の時に「我も明日には死んでいるかもしれぬ」と言うていたのだが 今なって同じことを言えばちょっと訳が違ってくる

叱られる

四十歳を過ぎたら誰も叱ってくれる人はいなくなる
そのことに気がつくのは 六十歳を超えてからである

四十歳の人に一生懸命に「叱られなくなる」話をしてもピンとこないらしく 聞き流される

さらに 二十歳過ぎの青年に話せば よく勉強していているせいか 言葉では理解していて深く頷いているようだった

しかし この言葉の語る奥深くを噛み砕いているかというとそうではなさそうだ

叱られる

言葉にすれば 奥に潜む深い意味が 溢れて漏れてしまう
ではどうしたら 伝えたいことを 正確に伝えることができるか

「不適切にもほどがある!」が投げかけていたテーマをパクって考えたわけだが
行き着くところは 面白味のないアホらしい議論になっていく

話を受け入れるトコロが想定から外れ始めているからだろう


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