雑記メモ) 痴呆脳 Ⅱ

﹅﹆﹅ 痴呆脳は 生きているのだ

生きているのだが 記憶を喪失するし 現状のステータスの確認もできなくなる時がある

会話は交わせるものの 会話を記憶して再生して次の思考をこなすことは不可能である

判断についても 自分の存在の状況を認識していないので その後にある判断は 出鱈目だ

つまり 痴呆脳の人に精一杯の情報を注ぎ込んでも その内容を持って『三途の川』を渡れない

さらには あの世に到達してもこの世のことを再現できないのではないか

そう考える

﹅﹆﹅ 痴呆の世界を無知だった

痴呆は身近であると思っていたのは大間違いだった

実は「痴呆」の人やその症状 そして周囲で介護をする人々を全く知らなかった

社会の実態を全く知らずにきたということだ

離れて住む「とーさん」に怪しい症状が出たのが十二月の初旬で その時から大慌てが始まった

﹅﹆﹅ 介護をしながら「可哀想」を連発する

つまりは 生きながら自分と会話し反応をする相手が 何も考えていないことのジレンマ

正常な時もあるが(これはそう見えること自体がすでに認知症状の一種だが)言うている事がメチャメチャなことが多い

せん妄に惑わされて 行動が不安定(暴れる、暴言を吐く)である

人間らしさを感じられず 元に戻る見込みが無いなら その人らしさもなく生きている意味が感じられず 見ているのも辛いことがある

それを認知症というのだ

可哀想で仕方がない

元に戻せない

このまま行く末は遅かれ早かれ死んでいくのか

だから 可哀想だという

この人の幸せは一体何であったのか

これ以上の幸せがあるのか

苦しむことなく楽にしてやりたい

様々な思いが頭をよぎる

﹅﹆﹅ 脳死や心肺停止のようには扱えない

しかしながら、当然、生きているのだから死なせてしまってはいけない(殺人)

と言いながらも

痴呆脳は もはや死んでいるに等しいほどに再起不能だ

生理学的に心肺を止めずに脳波が検出できても 再起不能であり 人格の残像が残っていても 脳死に限りなく近い

﹅﹆﹅ 三途の川を渡るまで

最高の介護を誰もが尽くす

この悦びを持って三途の川を渡るとすれば

この人の脳裡の中心に「生きている間の思い出」が、あらゆる過去が回想できるほどに残っているのだろうか

末期癌の人のように痛みに苦しむわけではないが、痛みのない苦しみに締め付けられているかもしれない

だから

「死なせてよい」というつもりは毛頭ない

しかしながら、本人の幸せを通り越して周囲が介護をする姿は 果たして愛に満ちているのか

単に、自分が満足し納得するためだけではないか

痴呆脳との対話が続く

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