銀マド・十七音 2007年篇 (日記系セレクションから)

路地陰に内緒にしたい梅一輪

ちょうど1年ほど前のことだ。北野天満宮の天神さんの前日だったと思う。娘の入学試験か、試験の後の手続きだったか、記憶は曖昧だけど、そんな用事で上洛していたときのことだ。

今出川通りをバスに乗って来て天神さんの前で急に思い立って降りた。祭りの前ということで、お店の屋台には幌が被せてあって、参道の人影も疎らだ。小降りの雨の中を傘を差しながら梅の花を見上げた。

ヒヨドリが枝から枝へと忙しそうにしている。ピヨピーヨと啼くのだが、その姿は、可愛い声とはちょっとずれて、決して鮮やかではなくむしろ地味な井出達だ。

満開の梅林のねきを傘を差して歩く。まだまだ手が冷たい季節だった。

あっという間に月日が過ぎて、再び花の季節を迎えた。
今年は温暖化で、雪の便りもほとんど聞かない。

  東風吹かばにほひをこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ

誰もが知るこのうたを思い浮かべるときに、数々の才能に恵まれ波乱万丈の人生を送りながら最期は大宰府で消え果てるという、この人の無念の生涯を連想してしまう。

春の陽気と報じられた数日間と打って変わって、きょうは冷たい風が吹いている。冷たく静かに時雨れる日に北野の梅を見上げるとき、人の人生の儚さを連想し妙に哀しさがこみ上げてくる。

| 2007-02-11 12:19 | 日記系セレクション |

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花が散りますね

桜散る吹雪の向こうに似合うのは別れて急ぐ女なりけり  ねこ作

いやー。そういう風景を思い浮かべます。

でも、
くるりと振り向いて
もう、次のことを考えている。

そうありたいような気もする。

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活字というのは、消さないで置いておくことが出来るので、しばらく時間が過ぎてからゆっくりと読むことが出来ます。

いまごろレス書いても届かないかもしれないけど、電話やケータイ文化への僕の反発ですから。

ああ、花壇は草で茫茫やなあ。草は強いなあと感心してます。

| 2007-04-10 11:19 | 日記系セレクション |

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忘れてもいいくらい焼きついて

「忘れてもいいくらい焼きついているから・・・・」

そういう気持ちはわかるけど、
それはうそだよ。絶対に強がりだ。
自分を元気付けるために、
「焼きついて」なんていっているだけ。

泥のように酔っても、死んだように眠っても
僕の頭の中から離れることの無い人ですけど
面影はやがて記憶から消えて、
・・・というか風化して姿を変えて行ってしまうと思う。

声は、時々正確に蘇って、頭の中でクリスタルに響くことがあるね。
「さようなら」という手続きを踏まなかった戒めかもしれない。

| 2007-05-27 12:24 | 日記系セレクション |

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百舌

鵙。こうも書きますね。

先日、山口誓子さんの俳句館を訪ねて、
 
 われありと思ふ鵙啼き過ぐるたび 山口誓子

という句に出会いました。鵙と書いて何と読むのかわからず、メモって帰ってきました。

これから冬になってきますと野鳥を観察する行事などに出かけることがしばしばあります。
カワラヒワがぱーっと飛び立った後、近くの家の庭木に目をやるとモズが静かに止まっている、なんてことがあります。

そのときは、宮本武蔵の描いたモズのような鋭さはなく、普通の鳥ですね。

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そんな私のコメントに、Sさんは

ねこさんがあげてくださった誓子の句も、
≫カワラヒワがぱーっと飛び立った後、
≫近くの家の庭木に目をやるとモズが
≫静かに止まっている
という感じも、そして掛け軸の中の鵙も何故かイメージ通りで驚きます。

でも、実際は普通の野鳥といった感じなんですね。
逆に、そんなモズがますます好きになりました。

ついでながら…、(また長くなってすみません!)
ねこさんが日記に引用されていた川崎展宏氏の句に感動して検索してみたら
 二人してしづかに泉よごしけり
という一句を発見しました。ふたつとも夏の句らしいですが、ふうっと時が止まっている感じ。俳句はやっぱりいいですね!

| 2007-09-16 07:21 | 日記系セレクション |

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同じ月あの子がここに居ぬ以外

明日はオイルを交換してきて

(お墓参りに行って)

日月と仕事をして
火曜あたりはバビューンと行きたいな。

同じ月あの子がここに居ぬ以外   ねこ作

月が美しくなり始めましたね。
昔、どこかで見た月と同じだ。
あの子が居ないという点だけが違うけど。

| 2007-09-21 21:00 | 日記系セレクション |

2010年9月15日 (水曜日)