なぜ・・北海道か
話せば長い
読んでくれますか?
北海道との出会い
中学時代に最果てに憧れて最果ての街の文通友だちができた
長い間の手紙友だちだったが 時の流れの中で手紙は途絶えてしまっている
だからというわけではないが 北海道はゆっくりと旅をしたい憧れ土地のままだ
初めての北海道
1977年の夏にふと立ち寄った本屋で目にした北海道マップに着火されて二日後には京都から『急行北国』に乗って旅に出た
ブログに僅かな日記を書き残している
また北海道
1984年の夏と1986年の夏に 今度はオートバイ(@夫婦二人乗り)で旅に出た
1986年の日記が 書き残っている
ひとりの北海道
1989年夏には ひとりで出かけた
日記は残っていない
帰りの『モト・トレイン』を大阪駅で降りた写真が残っている
旅の原点
始まりは衝動的な思いつきだ
キーワードは『ヒッチハイク』『周遊券』だった
昭和の北海道
鉄道が走っていた。夜行のディーゼルカーで街から街へと移動して 宿泊代を節約した
駅前の歩道には野営を明かす旅人の姿が珍しくなかった
道路は 未舗装のところも多く残っており 名の知れた場所への道路は 次第に便利になりつつなっていた
『裏摩周湖』の展望台への道は 登山道だった
『知床峠』の山岳道は 現在の道路は全く未開通で 羅臼から登る道は 『鎖場』から始まっていた
鉄道の廃止
いつの間にか鉄道が廃止された
オホーツクの廃線跡の艸が茫々に生えた道路の踏切跡に『ここは汽車は走りません』と書かれていたのが強烈に印象に残る
道路も変化
高速道路は 十分すぎるほどに整備された
ETCも当たり前になった
峠道は 近代化が進み 広くて安全に越えることができるようになる
『酷道』などという言葉も生まれた
旅の姿の変化
人々の旅の姿も変化した
大きなキスリングザックを背負った旅人の姿は消えて バックパッカーに変わり それも今は見かけない
野営で旅する人やヒッチハイクをする人もなくなっていった
便利で軽快で合理的な楽しい旅が普通になって 美味しいものや流行や話題が重宝される
人々の求めるもの
みんなが豊かで幸せになっていく一方で 価値観は統一化され誰もが同じ顔をして同じものを求めて旅をする姿が目立つ
新しく迎えた時代というものが 湯水のように提供してくる新しい幸せの価値観を抱いて 誰もがストレスから逃れようと旅に出る
好奇心という言葉を昔の人のように熱く語る人は減っていったように感じる
魅力の変化
乗り遅れてはいけないし流行を逃してもいけない
ブランドを掴み損ねてもいけない
展望台から見下ろす風景は 長い歴史において変化はない
けれども こちら側は 平成・令和の文化だ
ふたたび訪ねる理由
変化することは 破壊することではないし 衰退することでも 失うことでもない
そのことはわかっているけれど 心の中のどこかで 消えていく昔を惜しんでいる
消えてはいけないというつもりはない
忘れてしまってはいけない・・と息を荒げるつもりもない
では何故だろう
ふたたび訪ねようとする理由は・・
過去を巻き戻さない
巻き戻るものではない
そこには諦めに似たものがあるのは否めないが 新しく生まれ変わったのだと考えているのか
化粧直しをしたのだと言い聞かせているのか
自分を塗り替える
自分が過去を上手に蔵うことから始めねばならないのではないかと考えたのではないか
答えの掴みようのない旅の動機だ
聞かれても 即座に答えられない
熱い思い出を呼び戻そうなどとは考えてはいない
もう一度 あのころのページをめくり戻そうとも考えない
むしろ 今の姿を見て ひとつの区切りとして 新しいステージにゆく準備としたいと思っているのだろう
そんな気がしている
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新しい海
新しい海には新しい水夫が行くのだ
新しい操作を信頼して海を渡る
海の姿は何万年もの古代から変わらないものであっても 航海をする人々は今を生きる人だ
旅日記は また どこかで