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1995年春・煙が目にしみる 四国・中国篇

1995年春・煙が目にしみる 四国・中国篇

煙が目にしみる('95春篇)  ねこさん

奥飛騨~金沢の旅を終えたGSXFを冬の間も私は通勤に使い続け、入院前にはカムチェーンも緩んでカラカラと今にもぶっ飛びそうな音を立てていた。煙の出具合は今になって思うと二年間も無理して乗った事もあって、当初よりも多くなったかに思えた。冬場はチョークを引くので余計にそう思えたのかも知れない。こんな病を持ち続けたままで九州や東北、奥飛騨、金沢と走り回った去年の私はGSXにとったらとんだ罪悪人という事になる。まあ、許してくれや、夏には復帰だ。

永く病を治癒するためにやっとの思いでメグロさんに渡したのが3月の初旬だった。月末にはコンサートを控えていることから、その練習に忙しく乗ってやる暇が最も少ない時期だと判断したからであった。その時にメグロさんには「4月になったら乗りたいので」言ったつもりであったが、メグロさんの都合もあり遅れ気味となり、「ゴールデン・ウィークには間に合わせて」とお願いするも虚しく、天候の意地悪もあって退院は4/30となった。そのあとから早速乗ってみた。

--まだエンジンが重いのでとメグロさんは言う。

すぐにでもツーリングに出たい私に、

--物理的には、50Km走れる物は1000Km走れるわけで

と説明をしてくれる。早い話が、出かけるのは無謀と忠告してくれているようにとれる。真意不明。

--しかし、速度は法定並で走って行かなくてはなりません。ロングの件ですが、まあ前例がないので。

メグロさんの心使いでガソリンタンクに1/100のオイル(10cc)を混ぜてもらった。これは当たりが出ないメカ部品に対しての焼きつきの防止の為である。やはり低回転で登る坂道では、後方から誰かに引っ張られているようなほどに前に出て行かない。これは、ボーリングの直後の為か、エンジンの特性自体が変わってしまったのか。

試運転を繰り返すうちにやはりツーリングに出るには無理がありそうだと感じ始めた。天が慰めるように雨を降らせてくれるので諦めもつく。(ツーリング中断の人には申し訳ない、慰め合いましょう)そんなわけで、ゴールデン・ウィークは読書をしたりして有意義?に過ごさせて頂けそう。

エンジン音は新車の時のように静かになり、アイドリングの時は振動も少なく、加速時には電動モーターの様に回り始める。肝心のオイル燃えについては、低回転でしか確認ができないが、煙の出はおさまった様子である。まだ予断は許されないが。

250のマグナがもう少し早く出ていれば修理を止める事も考えたかも、と思いながらしばらくはまたこいつと付き合う事になった訳である。

低回転のトルク不足は、今後ずっと付き合う事になるかも知れないが、もう100ー200Km程はトロトロと慣らして見ようと思い、いやその必要がありそうなので、50Km程度の日帰りのツーリングを繰り返していかなくてはなるまい。

さて、残されたゴールデン・ウィーク、どんなふうに走ろうかな。'95.5.3ねこさん


旅日記('95GWツーレポ)[1]<四国>

副題を【煙が目にしみる('95GWツーレポ)】とします。

GSXが煙を吹き始めて以来、二年間に渡り(一部で)書き続けた「煙が目にしみる」の完結篇をここにツーレポと兼用で残します。 


----<<まえがき>>----

■雨は嫌だ。季節の変わり目には雨が多い事はわかっている。GWの半分が雨降りであることも覚悟している。けれども、雨が降ると気持ちは冴えない。連休初日、4/29も朝から雨だった。メグロさんは雨が止んだらGSXを届けましょうという。雨の中で受け取ったところで出発できるわけではないから、早々に諦めて家族と買い物に出かけた。休日の連続雨記録を更新中だそうで、この日で5週目とか。仕事で走るわけでもないので、晴れるまでは家族と暇つぶしでもしようか。安易にそう考えたが、GWの天気予報に晴れマークが現れず、そんな苛立つ日が5/1になってもまだ続いた。そんな状況でも、後半からは晴れてくるだろうという希望的予測も棄てられず、もう待てないから5/4には出発!と決めた。

■行き場所は山陰である。GSXの煙を初めて見たあの鍵掛峠に行こう。そうぼんやりと考えている。どこかに「こだわり」がある。が、そのパワーはいつもより弱い。それでも山陰なんだなあ、あれだけ四国は素敵なブルーアイランドだってみんなに薦めておいても。

やっぱし「こだわり」だけで走ってるんだよ。


----<<5月4日>>----

■さて、5/4の朝。天気ははっきりせず、どんよりと霞がかかったような空だ。空気は生暖かい。去年のツーレポを引っ張り出して出発時間を確認すると、8:30に家を出て和歌山港に12:15に着いている。--お母さん、9:00には出るわ。それから、バンダナ探して。

平日と同じくらいの時刻からドタバタし始めた私に起こされて、うちのんも目が覚めたようだ。ごめんごめん。そういえば昨日の夕方、裏のTちゃん(小2)が--Aちゃん、子どもの日、何を買うてもらうの?(返事も聞かず)僕なあ。プラモデルや。

バイクに荷物を積み始めたら娘が出てきた。--おみやげ、何にしょ。お饅頭か。--うん。

8:30を1,2分過ぎていたかも知れない。さあ出発だ。まずは高見峠である。

■100%元気…忍たま乱太郎の主題歌を鼻で歌いながら軽快に走って行く。光ゲンジの歌だと子供が後で教えてくれた。知ってるところがほんのさわりだけであるため、そこばっかしを繰り返し歌っている。何て滑稽な姿だろう。でもみんな似たようなものだと思う。

■高見峠を通って和歌山港まで。GSXのシリンダは「新車の時よりも加工精度が悪いので慣らし運転は慎重に」とメグロさんから聞いている。慣らし運転でそんなロングツーリングは珍しいらしく、ガソリンにオイルを1/100だけ混ぜてくれた。(15ccほど)

思いっきり水蒸気を含んだ気団が山の上にあるのか、山頂は霞んでいる。新芽が湧き出るようだ。秋の紅葉は華やかで綺麗だが、春の緑も爽やかでいい。秋と違って新しい物が生まれてくる時のパワーのようなものがある。独特の空気の匂いがする。それに田舎の匂いが重なる。周りの水田はほとんどが田植えを終わっている中、まだ、真っ最中の所もある。大雨が続いた事もあって櫛田川の水はやや濁り気味であった。高見峠の交通量はいつもより多い様に思う。「GWなんだなあ~」と独り言を言いながら制限速度で上って行った。

すべては時間通りである。和歌山港までの道の混雑も難なくこなして12:30に港着。

■13:30発ですよねと言いながら切符を買おうとすると窓口の係員さん(の野郎)が次の出航時刻を表示した窓の一角を鉛筆でつついている。その馬鹿さ加減に心で笑って、怒りを消した。船への乗り場に行ったらバイクが意外と少ない。移動の谷間の日なのかなあ。客室に一番乗りで行けるのはライダーの特権であったが、ポツンポツンと別れて寝ころんでもどうも落ちつかないのでライダーの人の近くに移動した。無愛想な人だったなあ。特に女の子。あまり軽々しい子も困るがもう少しにっこりしてもよさそうだろう。まあ、(彼女は)逆に寂しいのかも知れない。だから話そうとしなかったのかなあ。ソロライダーは孤独なんだよなあ。船内のテレビはオウムの話ばかりで、早く徳島に上陸したい。

■雨が心配。雲行きが怪しいぞ。さて、高知へ行こうと思っていたのだが、南は雨かも知れないと予想すると、瀬戸内海の地方は雨が少ないと小学校で習ったのを思い出し、高松に向かって走って行く事にした。しかし浅知恵だった。雨に降られるならどっちでも同じ。ほんとうに行きたい方に行くべきだった。

■R192~R193脇町から塩江温泉の所を越える峠はなんて言うのだろう。この途中で雨具を着た。でも、高松に近づくと止んで、しばらくしたらここにも雨がやってきた。土砂降り。町のアーケードの中の電話ボックスから屋島山荘YHに電話をした。雨の中のテントは嫌だ、というのが理由である。|どうも今回の旅では、野営実行気力が随分弱く、宿(YH)に甘えて|しまった。でも、もう泊まらない。高いし汚いから。決心は固い。

アーケードの出口で横断歩道の赤信号を待つショートカットのいい感じの女性に後ろより声を掛け道を尋ねた。--屋島ってどっちですか--番町の交差点を…綺麗な人だった。「泣いているのか笑っているのか」と思わず口ずさみながら先を急いだ。

■YHに着いたらすぐ後にグース250の練馬ナンバーの女性が飛び込んできた。初めは女性だと思わなかったので、「この雨のきつい中、狭い駐車場にまた人が来てもう少し後からにしてくれればなあ…」と思った。でも、この子、なかなか積極的でしっかりしていて茶目っ気のありそうな子だった。--法隆寺でぼーっとして、ゆっくりしすぎて…。

昨日は赤目(三重県)に泊まって法隆寺を回って陸を走ってきたそうである。何故、あの法隆寺なのか。法隆寺の話が聞きたいと思いつつ最後まで忘れていたりして機会がなかった。それがこの地でも最も後悔する事であった。

三重高の女の子(二年)にも会った。賑やかで可愛い子だった。私の赤髭みて--画家のMさんと勝手に呼んでくれるくれるではないか。もしあんたの高校の教師やったらどうするんやと言ってやった。職業を隠したから余計に聞こうとする。余計に隠そうとする。

ロードスターの彼氏は鈴鹿の自動車会社の人。三重県の人にこんな狭いところでこんなに会うなんて。明朝、宇高連絡船の前まで送ってくれたが御礼を言いそびれた。

<本日走行距離:283Km>


旅日記('95GWツーレポ)[2]   <中国>


----<<5月5日>>----

■こいのぼりが風になびいている。屋島を一周してみた。8:30を少し過ぎた頃に宇高連絡船に乗った。豪華な船でたったのに\1400は安い。お客さんも少ないように思う。車もぱらぱら。グースの彼女と話が出来なかったのが少し尾を引いて消沈気味の私は船のデッキで海に向かってぼんやりとする時間を過ごした。とても客室でオウムのTV番組を見る気にはなれない。

昨晩の雨水が蒸発して海の上を漂う。それが遠くの島をぼんやりと隠してしまう。カラリと晴れて底知れぬ群青の深さを見せてくれる海ではなく、寝ぼけ眼で見るような海であった。一方で、風はさらりとして塩っ気がない。大きい川を渡る船のよう。

■宇野港から鷲羽山に向かってシーサイドラインを走る。伊勢志摩の海岸をいつも走っている私はちょっとやそっとでは驚かないよ。でもいいところでした。霞の中に浮かぶ瀬戸大橋を眺めながら潮風に吹かれる。玉子ヶ岳という山があり、行ってみれば良かったと少し後悔。面白そうだったのに。

■倉敷郊外を抜けて富峠を越えた。県道である。山の斜面にたくさん新芽を出している果樹は何だろうか。ゆっくり眺めることもなく先へと走った。(何故、北へ…と、何を急いだのだろう)

今回のツーリングはこんな時にもバイクを止めずに走り続けた事が多かった。後で書く美星町での出来事は例外であるが、全般的に走り続けた。何がそうさせたのかわからないが、(どこに行くか決まらず)行き先を決めるのに迷いがあったのと、気分がやはり雨で滅入りきってしまっていたのか。まあ、慣らしなんだし。

■矢掛町から美星町へツーリングマップにも載っているスーパー農道の一部を走った。快適である。飛ばすことはしない。(いつも田舎道をそう書くが)何の変哲もない景色である。そんなふうに周りの景色が妙に落ちついているところがとても好きになってしまった。眺めていると心が落ちつく。可愛い子に出会った時のような感じで、じわっと来るものがあった。したがって、スピードはだんだん落ちていって、ついに路肩にバイクを止めて山々や畑、樹木を眺めた。お茶畑や野菜畑や綺麗に植林された杉の木や桧の山などが幾重にも連なる。近くの斜面には家が散らばってる。安野光雅さんの水彩画の講座を少し前にNHKテレビで見ていた。あの時に出てきた南フランスやロンドン郊外の絵の様な感じである。だいたいこんな遠くまで来て、国道をそれて無名の田舎に入って来て、バイクを止めて景色を眺めているなんて…、失恋旅行でもあるまいし…。

■新見インターの近くまでやっと北上してきた。もうお昼に近かったと思う。2年前の夏にはこのインターから高速で帰ったんだなあと回想しながらいよいよ中国地方の北半分に差し掛かる。

■明地トンネルを抜けると大山が見えた。峠の下りには展望台もあり、一息ついたり地図を見たりして努めて休憩を取るようにした。米子が近づいて来るに従い大山周回道路でも走ろうかと思い始める。実は又、亀嵩に寄って今度は出雲大社にでも行こうかとも思っていたのだが諦める事にした。理由は簡単。明日、京都(亀岡市の実家)に寄ろうと決めていたからである。

岸本町から広大な農作地域をまっすぐ抜ける農道(県道?)を、一気に大山の頂上方向に走った。肥やしの匂いはたまらなく気持ちいいな。ほんと。

■枡水高原は人・人・人でいっぱいだった。しかし、前回に泊まったキャンプ場には、全然テントが設営してなくて、後で考えればここにしておけば良かったと後悔する事になる。やはり夏になると人で溢れるのだろうが、まだ今の季節は少し寒いせいもありキャンパーは少ない様子。道路脇には真っ黒に埃を被った雪が残る。今は虫も居なくて良い季節なので、テントにしなかった事を、帰ってからも悔やんでいる。

■羽合温泉のYH香宝寺に電話をした。とっても無愛想な女の人の応対だったので嫌な予感がした。キャンプにしようと考えを改め始めていて、東郷池の西岸の豪華な公園も見て回った。ここは緊急用にも、計画的にもお薦めである。すぐ前に温泉センターがある。夜中ひとりで寝るまでを過ごす方法を考えてやめてしまった。変にYHに行って人と会話をしている方が楽珍と考えたのがまずかった。やはり、徹底的にひとりになるべきだった。夏なら暑いから夕方になっても走り続け、疲れ果てて野営という事になる事がある。こういう時って純粋に生きているのを実感できているのだと、ぬるま湯の宿に行って思っている。

夕食をスーパーで買い付け、ビールも隠し持ってYHの部屋に滑り込んだ。

■ひっでえYHだった。あんなにYHのトイレってのは汚いものなのか。偶然にも今までが「まし」だったのか。お寺だったので御香の匂いかとも思っていたが、あれはトイレの匂いだぜ。

<本日走行距離:319Km>


----<<5月6日>>----

■皆さんが寝静まっている時間に出発する事にした。早起きの習慣があり、5時過ぎには目が覚めてしまう。

東郷池を左回りして鳥取砂丘に向かった。近くを通ったら寄らなくっちゃと思い来てみたが、展望台が出来て駐車場が林の中に切り開かれている。観光地はつまらないとまでは言わないが、感激は少ない。お土産を買っただけ。

ここはキャンプ(野営)をするにはちょうど良い林がたくさんあるぞ。>皆さんチェックしておかねば。

■日本海沿いを走る事にした。R9を走って帰るのはしゃくにさわるというのが理由である。いつからか前を250ccのカワサキのバイクが走っている。余部鉄橋のあたりからかな。初めは男の子とばかり思っていたらどうも女性らしい。奈良ナンバーだったので、きっとこれから帰るんだろうなあと思いながら抜いたり抜かれたり。

信号で止まったときに---奈良まで帰るのですか私は出石で蕎麦でも喰ってから帰ります。どちらを通って帰るんですか---生野です(と言ったと思う)

■何故、彼女に一緒に(蕎麦を喰いに)行こうと言わなかったのだろうか。出石への分岐点あたりから姿が見えなくなった。彼女が消えてから、誘わなかった事を悔いている。ばか。

R9は懐かしい道である。今日は(うちのんの)実家まで。鳥取砂丘で買ったお饅頭を子どもに渡すのも楽しみのひとつである。

<本日走行距離:257Km>


----<<5月7日>>----

■旅が尻すぼみになっているのが気に入らない。しかし、たんまり酒をご馳走になったので、元気が戻ったか。

いよいよゴールデン・ウィークの最後の日である。遊びすぎて明日からの仕事に差し支えてはと考えるところなどはまだまともなところが残っているのか。

■奈良で道草をする事にした。「理由は?」「昨日のカワサキのあのバイクの子のナンバーが奈良だったから?」「ノーだよ。」独り言を繰り返している。フルフェイスの窓から見える目元が、可愛かったんだから。

ほんとの理由は…京都と三重の間の道は走り尽くしたからさ。たまにはスリリングな道を行こうと思っただけであった。奈良市内や公園の近くは人でごった返していた。

奈良から高円山の麓を通って名張に行く県道を通った。田舎の道だ。こういう道って病みつきになってしまう。

<本日走行距離:169Km>


----<<あとがき>>----

去年の秋の旅(ツーリング)以来だっただけに気合いもあって、早くから荷物を用意し自炊用のコッヘルも音楽室から借りてきたのだった。(音楽室は聖地としか書きようがない/校長先生まさか読んでないよね)革のつなぎも丁寧にクリームをぬってやった。10年物の輝きだった。でもキャンプツーリングをするなら避けた方がいいみたい。

旅先でうちのんに電話でYHに泊まる話をすると---折角準備して行ったのにねえと残念がってくれた。\2980のテントの寝心地は、この5月末か6月初旬まで持ち越しとなった

今の季節は花が美しい。あちらこちら、山間部を走ったら山藤が紫色に散らばって緑を引き立てている。こんな所にこんな花がなあ、と驚かされる。れんげやつつじはわかるけれど、やはりツーリングをするだけではなく、旅を二倍は楽しむには、植物の名前なども知ろうではないかといつも感じてしまう。

最後に。二年間にわたって(一部のあちらこちらで)書き続けた「煙が目にしみる」(GSX修理日記)も完結を迎える日が近いかも知れない。煙がおさまったら車検をするし、直っていなかったら棄てる。

長々と書きましたが、文才なき事は許されたし。いつかどこかでピースを交わしましょう。

会計報告は機会があれば後であげます。また訂正があればコメントであげます。

<5/4-5/7,全走行距離:1028Km>

おわり


2009年5月11日 (月曜日) Anthology 旅の軌跡 | 出展元