イケダさんへの届かなかった最初で最後の手紙

2021年6月1日

今朝 留守番電話に イケダ ノリアキ さんという方から 録音が残されていて
先日 イケダ イクオ さん宛てに出した手紙の返信の連絡だとわかった

それは 悲しい知らせで 録音された声には要件が手短に入っていた

自分の名前を名乗り 私が出した手紙の相手の名前を告げた
それは同じ名字なので身内だと直感した

昨年の12月20日になくなりましたと言って挨拶をして
連絡先も言うことなく伝言は終了した

池田さんは二年ほど前から喪中が続いたが 今年の正月には年賀を出した記憶がある
その時に連絡はなかったのだが 既に亡くなっていたのだ

そのことが判明する知らせだった

二十四年間一度も(年賀のほかに)手紙を出さないまま 挨拶を続けてきた人である

ねぶた祭りの交通規制で閉じ込められている時間を共にし
市内を脱出してラーメンを食べ道の駅で野営をしていたのだが
明け方にはそっと先に出立して 住所だけ残して行ってしまったきり
その後は 一度も会っていない人だ

今年の正月が明けた頃に ふと思いついた手紙を書き出して
やっとGWの頃に書き終わり さらに先日投函したばかりだった

出会って最初の手紙が届かない最後の手紙になってしまった

何を閃いたのか 今年になってから手紙を書き始めて
GW のころまで ダラダラと思い出しながら書いたので長い手紙になった

さらにそれを ひと月ほど無意味にものぐさに温めて 先日投函したのだった

手紙が届いて即日に電話をもらえたものと思う
返信先の電話も住所も録音がなかった

手紙は 池田さんには届かなかったと言うことだ
これで 万事休す

ご冥福を祈ります

前略で失礼します
  
■ はじめに
のらりくらりと一度も手紙を書いたことがなかったのですが 気まぐれにペンと持っております
仕事を引退して以来継続して仕事に着くことができず
毎日同じような時間を過ごすようになりまして 貯蓄もないまま隠居生活に入ってしまったので
とても貧相な暮らしをしながら むかしを懐かしんでおります
そこで自然に手紙でも書こうじゃないかと思い立ったわけです
ネットは人並み以上使いますので いわゆるブログなどがありますが 特に親しい人には伝えていません
電子メールで様子を伝え合うくらいのものです

。。。

■ むかしのこと
まず 何かを書き始めることにしました
たくさん思っていることが溜まっているよな気がしますが 整理しながら 思い出していくことにします
まず 大むかしの話を思い出してみます

。。。

青森のねぶた祭りで出会ったのでした 
どんな出会いだったかも忘れました

たまたま傍にいて祭を見学しておいでで 交通規制で街の外に出られなくなっていたので お祭りが終わってから一緒に街を抜け出したのでした
街を抜け出す道をしばらく走り続けましたら ラーメン屋がありまして それを食べて少し走って道の駅があったので野営をすることにした

。。。

■ 自己紹介もした
少しだけ話しましたね
特に何を話したわけでもなかったですよねぇ

池田さんは
「東京の保険会社にお勤めだったのをちょうど定年になったので それを機に雫石に土地を買ったのだ」と話してくれました
それが膨大な土地だったのを記憶しています
1500坪を購入してと日記に記録してありました

。。。

スキーが好きなので 雪国が良かったので選んだ
千葉県に持ち家があるが 奥様が住んでいるのだと言う話を聞いたくらいで ご家族の話などは何もしなかった
お子さんがいるとか 仕事はどんなふうなことをしていて 社会的な業績や実績などの話してくださいませんでしたので 定年で一つの幕をしっかり引かれたのだろうと 思っておりました
住まいは思いがけないところでしたし 東北には旅に出ることが多かった私は 一度訪ねてみたいと言う強い思いがありましたが 願いは叶いませんでした

。。。

■ ネットの話
今はインターネットが便利でで 雫石のことなどは簡単に調べられます
お手紙をくださいます住所を入力しますと 雫石町の様子を写真で見ることができます
お住まいらしい建物も確認できるのできっとそこで暮らしておいでなのだろうと思っております
私は東北が大好きです
ですから GWや夏休みには四国に行くか東北に行くか 大抵どちらかでした
出会ったころの前後十年間にも八回ほどツーリングに行きました
ブログ日記を書いているので旅の記録は公開しています
池田さんにはお伝えしてはいませんでしたけど
検索したら出てきます
【銀マド 自画像 小さな旅】 を入力
もしもそちらの暮らしなどもブログやホームページで見ることができるならば 是非とも紹介して欲しいです
ネットで繋がると連絡しやすいです

。。。

■ バイクで怪我
お会いした何年か後の手紙に バイクで怪我をして それを機会にバイクを処分してしまったと書かれていました
私も六十歳になる前にバイクを手放してしまい 旅に行くのは車や電車で出かけます
バイクに乗らなくなっても 次のステージでの新しい暮らしなどの話にも興味があります
スキーの他に
雫石の暮らしはどんな様子だったのでしょうか

。。。

■ 光陰矢如
さて
雫石での暮らしはいかがでしたのでしょうか
今更ながら 想像してみたりしてます
歳食いました
もう今年で二十四年になりますということは 六十歳で定年を迎えられたのでしたら八十四歳近くになるということですが
私の母が先ごろ九十歳になりましたので やっと高齢になって行かれる方々の暮らしの実感がわかって来流ようになりました
バイクで旅をしている仲間の一人ですから 同輩くらいの感覚だったわけで あの当時にお目にかかった時にそんな大先輩であったとは 思いませんでした
考えればわかることですけど バイクというのは若さを取り戻せるのかもしれませんね
そういうている間に私も定年の年齢を迎えて 再就職も期待通りには行かず コロナの騒動もあってじっと家にいる日々が一年ほど続いています

。。。

■ 家族のこと
私もあの頃は四十歳になる直前でした
娘が一人おりましてあのころは九歳だったことになります
今は近隣の市に住んでいまして 男の子二人の母親となり 幼稚園に通わせながら仕事をしています
そんなわけで子供は巣立ってくれたので 案じることは自分の暮らしのことが主になります

。。。

池田さんは 定年ご雫石で新しい活動を始められたとか 第二の人生と呼べるような何かをなさったとか
そんな話を伺う機会もなく二十数年が過ぎてゆきまして それはそれで一期一会の出会いで普通のものであったとは思いますものの
毎年年賀もいただいて来たわけで そっけない挨拶では些か勿体無いような気もしてまして
ぼんやりと日々を過ごす中でふと手紙を書いてみようと思い立ったわけです

。。。

■ 旅
旅は続けたいものですが なかなか・・
私は絵が描けるわけでもなく 写真機を持ち歩いて景色を撮り歩くような趣味もない
三重県の様子を紹介ができないのが残念です
このごろは 伊勢神宮とか世界遺産の熊野古道などが注目を浴びています
雫石も東北屈指の自然豊かなところですし
温泉も多いし 三陸海岸も魅力的です
鶯宿温泉にはお目にかかるよりも以前に夫婦で東北をした際に泊まっています
のちのツーリングでは19カ所の温泉の立ち寄るなど 東北を楽しみました
機会があれば色々と各所のお話なども聞かせてほしいものです

■ 地震がありました
どの程度の被害があったのか 計り知れないのですが
三陸海岸の方にお住まい出なかったので 地割れや家屋破損があったのでしょうか
栗駒山地の方でも大きな地震がありました
山の中の鄙びた温泉で気に入っていたところもがあったのですが 災害で消滅してしまったようです
地震は 人の生命の周期とは別に長い周期で揺れ続けますから 未来もずっと恐怖と付き合わねばならないのが辛いですね 

■ あとがき
だらだらと何日か前から書き始めたんですが いつまでたっても描き終わりません
この辺でピリオドを打って 一旦 封をすることにします
電子メールを書くよりも封筒に入れる手紙の方がゆっくりと考えて書くことができました
あの頃は写真機もオンボロでほとんど記録が残っていません
どんな雰囲気でねぶたを見たのかも頭の中の記憶だけが頼りです
しかしそれも大方忘れてしまってます
そんなものなのでしょうが 寂しいです
長々と失礼をしました
機会があったら
お便りでもくださいませ

。。。

令和三年四月二十九日

電子メールがあります
ご利用されるようでしたら どうぞ