哀しいとあなたはいうのカナカナの ─ 八月尽篇

八月下旬篇を書いたあと、

(28日)
▼そう、あの子は桔梗のようで、大好き
▼おはようさん、あなたのおはよう逃さない

私は揺れて居るのだ。
まだまだ。

この日、私は、

 あなたとわたしの間には、計り知れない距離がある。

と、殴りつけるように書いて、そのあとを考え続けた。

囲碁に集中するときだって、信じられないほどの長考をしてしまうのと同じように、
私の頭の中では形にならない迷いがぐるぐると回り続けている。

今まで、そんなものに答えがあった試しなどなかった。
会心の一手が生まれたこともなかった。
そうだ。マイナス・スパイラルなんだ。

それでも私は、あなたとの距離を探ろうとする。
あなたはそれを詰めさせまいと、多弁と無言を繰り返す。

その揺れるような惑いに浚われて、私は遠く沖へと流される。

(29日)
▼ちかづかないちかづけないと影を追う

イメージの中で二人は寄り添うてみたり、離れてみたり。
もう二度と会えないほど強烈に弾けてみたりする。

帰り道でスーパーマーケットに寄る。
大きな字で「サンマ」と書かれている。
今年は高値かも、というニュースが流れていた二三日前のことを思い出す。

▼向かい合い秋刀魚二つに割って食う

サンマが一番美味しいね、と言いながらサンマを喰う。
ブリの季節には、ブリが美味しいね、と言えばいい。

(30日)
▼絵日記に明日のキミを書いてみる

高校生が汽車に乗っていた。まだ夏休みなのだろうから、友だちにでも会いに出かけるのだろうが、珍しい時刻に見かけたこともあって、新学期の準備のためにクラブの友だちとでも会うのかもしれないな、などと勝手な想像をしている。

ともかく、夏休みが終わってゆく。

近ごろの子どもたちは、絵日記にスイカを描いたりするのだろうか。

▼絵日記を閉じて明日の秋を待つ

私の八月は何も事件となるような出来事もなく終わっていった。
いや、些細な出来事が絵日記にかけたときほど、私たちは活き活きしていたのだろう。

ぐるぐると回る「距離」のことを考えながら、会えない人を想う。
夕焼けが綺麗な季節になりました、と書いて、手紙にはそれ以上を書かなかった。

(31日)
▼哀しいとあなたはいうのカナカナの

八月が終わった。
さあ、哀しい響きの秋が始まる。

2010年9月 1日 (水曜日)