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事故で挫折し、保育学生が先生になるのを諦めた話

「事故なんだ、本当にごめんね。」

3年前1月の西池袋公園、
肺が凍るくらい寒い日の夜。

7つ年上の彼氏に振られた。

元彼女を妊娠させてしまったから、
結婚してけじめをつけなくてはならない、と。

当時大学3年生、大した恋愛経験もない私。

面白くて優しい、大好きだった彼と最後の夜に、
「そうなんだ、おめでとう」
そう言って一晩中、彼の前で涙を流すしかなかった。
めでたいことなんて何一つないけれど。

子どもが好きで地方から上京して保育を学び
就活を控え先生を志していた私だったが、
その日から子どもを見ると吐き気をもよおすようになった。

幼稚園の先生になるという夢は諦めることにした。

2月になり公に結婚を報告した彼のSNSはいつ見ても
「おめでとう」「幸せになってね」と祝福の嵐。
それを暗く締め切った部屋で眺める私。

周囲の友達は就活や実習に向けて準備を進める中
私は一人でなにも手につかない日々をただ過ごした。

アーティストである彼のライブに行くことや
街中で子どもをみかけて癒されること、
大好きな彼と楽しい日々を過ごすことなど、
私の心の拠り所であったものを一気に失ってしまい
どう生きたらいいのかわからなくなった。

幸い優しい友達に恵まれた私は
毎晩のように友達と歌広場や鳥貴族に通い
泣きながら一連の出来事を打ち明けた。

大体の友達はめっちゃ落ち込む私を
「アーティストってやっぱ浮気するんかい。
テンプレすぎてうける、どんまい!」
と馬鹿にして笑っていじるか、

優しく同情してくれて
「あー、そいつをお前の代わりにぶん殴りたい!」と
頼もしい発言をしてくれるか、だった。

一人でいる時間は
彼のSNS上で繰り広げられる幸せツイートを
呪うように眺めて泣いて吐いてばかり。

そんなどうしようもない私にも
優しくしてくれる友達がたくさんいて嬉しかった。

そしていつものように鳥貴族で友達に打ち明けた。

「私と同じようににしんどい人なんて、
日本のどこを探してもいない。」
と私は少し酔いながら真顔でキメた。ダサい。

相談するとみんな驚いて優しくしてくれるし
少しだけ、こんな経験をした自分に
酔いはじめてしまっていたのかもしれないが、
本気でそう思っていた。真面目に!

しかしある友達は「いや、いるっしょ」
と即答。真顔だった。

私は思わずえっ、と呟き驚いた。

いや、そんなにも一気に心の拠り所を
奪われる人なんているはずがないだろ。

即答した友達に「じゃあ誰?どんな人?」
と食い気味で尋ねても「さあ。。」としか返ってこなかった。

3年経ったが、結局身の回りで
私と全く同じ経験をしたことのある人と
出会うことはなかった。

やっぱり
私と同じような経験のある人なんて
いるはずがないんだ。

そう思っては孤独を感じていた。

私がこんなにつらい思いをしても
最愛の彼は幸せそうに家族と暮らしていた。

それでも私に別れを告げたとき
「これは事故で、本当にずっとお前を愛してるから」
といった言葉はしばらく私の中で生きた。

高校の教科書にあった『高瀬舟』の
自ら喉笛を掻っ切ってとても苦しいのに
もがき苦しんで死にきれない弟のような
どうしようもない苦しみだった。

あの日から3年経った今わかることは、
私みたいなつらい思いをした人はどこにでもいる
ということである。

それぞれそれを隠したり、たまに晒したり、
様々な芸術、たとえば音楽や絵、映像、文章など
に頼りながらすずしそうな顔をして
みんな必死になんとか生きているんだ。

実際この3年間で、だれかに裏切られても
それぞれのやり方で不器用ながらも必死に
生きたり死んだりする人の物語に
積極的に探して触れて、生きる糧にしてきた。

『わたしが棄てた女』という遠藤周作の小説をみなさんはご存知だろうか。

これは当時私がそれまで聴いたこともなかった
クリープハイプ というこれまた最高で
当時めちゃくちゃ聴きまくって
その節はお世話になったバンドなのだが、
尾崎世界観さんがどこかの雑誌で
紹介していた小説である。

ヒロインであるミツは強い。
彼女に様々な苦難が降りかかっても
愚かなほどに純粋で健気、愛を持って人に
接する彼女の姿に胸を打たれる。

棄てた方にも、棄てられた方にも
おすすめしたい小説だ。

私と同じ経験をした人がいなくても、
私の心や人生の支えとなる考え方を
さまざまな芸術を通して感じ、
仲間を見つけたような気持ちになる。

この小説もそんな気持ちにさせてくれた
もののなかの1つである。ありがとうございます。

私のこの3年間の体験は
もはや井の中の蛙が大海を知る前の段階。

今まで小さな井戸のことしか知らなかった蛙が
ようやくその近くを流れる小さな川を知った、
くらいのことに過ぎなかった。

そんなレベルでぎゃあぎゃあと騒いでいた私は
とても幼稚だったなあ、と恥ずかしくも微笑ましい。

ちょっとこわいけど、これから海を知りたい。

そんなふうに思えるようになったのは
あれから3年経ってようやく、である。

長い間、私の中で生きた
彼にいつか言われた「愛してる」も
新しい出会いや芸術に触れ、枯れ果てた!

3年前の彼氏の浮気で
夢と心の拠り所を失った絶望を
さまざまな芸術に支えられながら
わりとポップに捉えられるようになった今、
笑っちゃうくらいあほな失敗を繰り返し
(笑えない失敗もたまにあった)
なんとか立ち直ることができた。

ここに行き着くまでの試行錯誤や
私を救ってくれた人や芸術のあれこれを
これから書いていけたらな、と思う!

忘れないうちになるべくポップに書きたい。

いつかの私へ
「あはは、今はつらいよね。だけど大丈夫だよ!」
とエールを贈るつもりで。
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