見出し画像

そこのえらい文化人へ。笑うなら殺してくれよホトトギス

どうせもう過去を見ても未来を見てもわかりきった人生。一時の旅行や娯楽快楽でこの憂鬱は紛れるものではない。

どこかの文化人、文学者、ブルジョワのように海や山の綺麗な場所で、家事も買い物も行かずにただ文章や音楽と触れ合いイチャラブセックスができるような自然派で文化的な逗留生活ができたらどれほど心が癒やされるだろう。日常生活が、私という肉塊を板に縄でグルグルと縛りつけるようにがんじがらめにする。

気が向いたら近くのガラス張りの美術館に知識も持たぬまま感性だけで美術作品を堪能しに行って、そこらで摘んできたお花を窓際に飾って、おかみさんが3食DHA&EPA豊富な魚と地元の新鮮野菜たっぷりの料理を運んできてくれて、洗濯もお願いしてしまう。動作性IQが低過ぎて、動くことからとにかく逃れたい。動いてもポンコツすぎて現状をより悪い方向へ導いてしまう。

でも現実問題そんな時代錯誤で妄想的なことを言っていたら、1980年代に「ビョーキビョーキ」「オタクオタク」と言って弱者を笑っていた、時代を牽引したナウなヤングから生まれた子供に同じようなことを言われてしまいそうだ。だから沈黙は金。社会でいらんことを言うと人々はすぐ反応し、余計な感情を抱く。私もそれに反応してしまうから、弱い。

今の言葉で表すなら、「作家志望の陰キャまんさん()、自分の足元を見ず現実逃避のために妄言を吐くwww」だろうか。ちょっとインターネットに染まりすぎ?

仕方ない、小学生の頃からねらーだったんだから。ひろゆきの娘というのは過言中の過言だが、みんなが友達100人作って富士山の上でおにぎりをぱっくんしている頃に放課後に差別的な言葉のおにぎりをぱっくんしていたんだ。きったねー。

社会的にいずれ排除されるのであれば早めに一家丸ごと綺麗さっぱり消してくれと思ってしまうのはある種傲慢かもしれない。Chu!勝手に道連れにしてごめん。

呼ばれて飛び出てやってきたこの世界で、親子共々ずっと社会の空気が読めなくて人様に醜態晒してばかり。

両親が自分の親や親戚を頼りにして引っ越してきたこの土地で、その人達はみなあっさりぽっくりこの世から姿を消してしまい、依存先がほぼなくなった。二人の力では一人目である私もまともに育てられず、テレビやゲームや買い物、宗教等の依存・逃避行動に付き合わされた。そんな中、何を思ったか第二子を儲けるなどという馬鹿特有の行動に出た。自分の状況を冷静に見られてないが故の、生産衝動に正直な様。

「誰にも頼れない」という事実が、身体に緊急事態を感じさせ性欲を増させたのだろう。

信者との話し合いがあるからと言って車の中に長時間夜に放置されたり、愛着が不安定な自閉症なのに弟の面倒を見るように言われ、結果ストレスが溜まりすぎて弟の顔に口の中に含んでいた歯磨き粉を吹っかけてしまったり、不登校になったり、精神病になったり。

そして親も現実逃避をする、友達一人もいない「ビョーキ」だから、カエルの子はカエル理論で私もスマホや買い物、音楽を聴く、読書等の逃避行動で青春があっけなく終わった。何の成功体験もつまずに、スポーツもせず、目の前の他者とコミュニケーションをする努力もせず、金を稼ぐ努力もせず、憎たらしい親のスネをかじるという選択をした。

ここが私のアナザースカイだと、ハナから限界を決めてしまっていた。でも、この親を背負ってくれるのは私以外に居ないんだ。弟はちょっと頼りないから、私が強くなるしかない。

その"無駄"な時間達がなければ、私はもっと上に行けたはずと思ってしまうのは、馬鹿故の根拠のない自信だろうか。あぁ、いつまで厨二病よろしくやってるんだろう。

遺伝子が不良品だったんだからこの人生では子供を望むことはできない。どうせまた同じような鎖がどんどん繋がっていくだけで、無知を含蓄したみたいな私みたいなツラの子供が生まれ、何もかもが不得意で口だけが達者で、また私と同じようにいじめられ、美容整形に救いを求めるも病気や何かで計画が頓挫して、死にたがりのパワーをこの国を発展させることに使えばいいのに変なところにエネルギー使う、どうしようもない人間になる未来が見える見える。

こんな私を笑うんだったら早く殺してくれ。

動画投稿サイトに盗撮されて上がっていた、壊死ニキとかその心笑ってるねおばさんとか、性の喜びおじさんとか、そういう"ヤバいネタ"とされている人間たちに、自分がなりそうな気がして不安だ。というかもう半分くらいなっている。

あなた達だって、「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」というニーチェの言葉の通り、アレになるかもしれないんだよ。

ああいう人達は本来は医療や福祉の介入が必要だと思う。私だって両者の助けがあって今生かされている。別に生きたいと希望したわけではないけれど。

洗面所で髪を抜くのが気持ちよくて、こんなことをしても時間が無駄だとわかっているのにし続けてしまう。明日は楽しいデートだというのに、何が私をそうさせるのか。

色々辛いことや、現実が見えてきてそれが重なりすぎると人間は気が狂う。

最初は明るくて朗らかな人間でも、社会というギロチンにかけられれば苦悶の表情を浮かべる。

教師や上司は助けてくれない。結局どこまでも自己責任で、どこまでも結果至上主義。

そこからあぶれたらコースアウト。

私、まずコースインすらしていないコース陰。

幼稚園の時点で不登園を繰り返していた時点でもう終わってるんだよ。閉廷。

恋愛してもセックスしても結局相手も親という重荷を背負っているということに気が付き、同じレベルのもの同士が惹かれ合うという法則に照らし合わせて萎えてしまう。

その相手だけ、今だけを見られればどんなに楽だろうか。

背景という文字の通り、相手の背中に浮かぶ景色をどうしても想像してしまって、それが代々遡った姿まで見える()から困ったものだ。見えているなどというのはどだい錯覚である。

余計な知識ばかりが頭に叩き込まれているから、江戸時代の大名・武士・町人の平均顔を集めた写真みたいなものを以前ネットで見て、それを記憶から呼び起こして、「この人は武士階級か」とか思ってしまう。

この時代に差別主義も甚だしい。叱った挙句殺してくれ。

私が那由多が一、ブルジョワ階級になったとしましょう。そして最初に書いた通りの生活を手にしたとします。その暁には、もっと勉学に励み、このひよこみたいに敏感な感性を活かして日本の文学界に貢献できるような人材になることを誓います。

不登校だった中学生の時、これまた現実逃避のために江戸川乱歩の小説を読みまくっていた。
ノートに一心不乱に書き写していたのを思い出す。
乱歩の手腕により、うら若き乙女なピュアな私にエログロ嗜好が田んぼの苗のように植え付けられ、そこから派生して彼を題材にした作品を多く描く丸尾末広氏のアートや、ハードロックバンド・人間椅子の曲にどっぷり浸かっていった。

私の全ては乱歩から始まっている。

これを引きずって生きている時点で、それもまた皆様の嘲笑のタネになるのかと思うと、変態的なマゾヒスティックな心が刺激されてしまいますね。

まともに生きられないわたくしめに、社会の居場所をくれ!居場所を与えてくれ!と嘆くより、「あなたが先に与えないとダメですよ」とこの世の真理をわかっている方から毒針を25本程度プスっとさされてしまいそうだ。25本という数字は私の誕生日ケーキのローソクの本数です。

ご清聴、ありがとうございました。

#創作大賞2024 #エッセイ部門

この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?